スポンサーサイト

.-- -- スポンサー広告 comment(-) trackback(-)
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

空ボトル

.28 2009 革の部屋 Leather comment(0) trackback(0)


台所に空のボトルが何本もある。かつて生活していた場所の台所。
捨てるに捨てられないボトルで、そのまま埃をかぶっていた。

比較的大きめの端革があったので、ボトル入れを縫った。前の日のことだ。
ボトルキャリーは一般的な形の瓶しか入らない。空のボトルたちの中で、一本だけ入るものがあった。あるバーボンの瓶だった。
ラベルはびりびりにはがれて、栓は別のものがくいこんでいた。形に用があるので埃だけ拭いて、ボトルを革袋の中に押し込んだ。

ボトルキャリーに納まったバーボンの瓶は色々なことを内包している。

オールド・セントニックという名前。名前のおじいさんの絵が描いてある。
このバーボンを飲んだのは、今とはまるで暮らしの違う時だった。このバーボンが高い安いの話ではなく、15年熟成されたライウイスキーを有難みもそこそこに飲んでいた時。値段自体はそれほど高いわけではない。普通だろう。でも、当時の私の歳、半分の時間をかけて熟成されて、世の中に出されたお酒を飲むにはまるで勿体ない自分だった気がする。

若いからとか、経験が少ないとか、そういう意味ではない。
私は、人が歳をとれば経験が豊かで人格が形成されると一様に言えないと思う。若くて経験の多くを自分に生かす人だって沢山いる。反対に歳をとっても生かされていない人格の人も山のように存在している。体験と経験の違いがあるのだ。

私自体は嫌な体験を多めに過ごしたかもしれない。有難いのはそれを繰り返したくなくて生きることを改めようと思えたことだ。丁度、改めようと生き方を見つめ直した時ぐらいだったのでは。あの頃。だから今は、人格形成途中みたいな感じだろう。そうでありたい。

15年あると何が変わるだろう。人によっては、何も変わらないというかも。随分変わると答える人もいる。15年は単位でしかないけれど、意識を持って生きているなら、始まったときと異なっているのは大切なことなのだ。良くも、悪くも。
そう、良くも悪くも。自分がそれを自分で知っているかどうか。
空のボトルを見て、自分がその15年の味を口に運んでいたときを考えていた。

ボトルキャリーは、私の年月のどの部分なんだろう。
意識した生き方を貫いても、コケもするし打たれもするし。だからやめよう、とは思わないが、途上、この道が途切れていても自分で道を敷いていこうとぼんやり思う。くすんだ空ボトルを革袋から出して、置いて戻った。

スポンサーサイト
 HOME 

プロフィール

ea

Author:ea
EA/ 絵描き・端革細工作者

カレンダー

12 | 2009/01 | 02
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31

最新記事

カテゴリ

HP・端革細工の回廊

Gremz

クリック募金

National Geographic

天気予報

天気時計

Amazon

日本語→英語

最新コメント

RSSリンクの表示

リンク

検索フォーム

月別アーカイブ

QRコード

QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。