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お守り

.29 2009 他素材の部屋 Other material comment(5) trackback(0)





お守り、とはまた不思議な言葉だ。


何々に対して守るものだから、そう呼ぶんだというのは分かる。
でも本当にそうだろうか。



少し調べ続けると見えてくる。

しかしここに書くのは、あくまで曖昧な、私見の類にしかならない私の理解だろう。
お守りは、自分のための何かを守るものではなくて、自分を守ってくれる存在の力が側にあるという意味だ。

と、私は思った。



私はカトリックだが、カトリックでもお守りというようなものはある。
それをお守りと呼んでいるかどうかまでは覚えていないが、あるにはある。
御めだい等もそういう意味であるのだろうか。
ロザリオは祈るためのものだが、御めだいはペンダントトップやブローチ、ピンに付いたりしている。

そこにマリア様やイエズス様がいると、身に着けて心を強く持てるのだろう。

だから「お守り」なのかもしれない。




森羅万象の神、という考え方がある。 アニミズムだ。

無機質なものや人工物にまでこの考え方は及んでいる。近年の話ではなく、ずいぶん昔から。
まさしく、森羅万象の深し。
人の生きる道を救い、人の生活の豊かさを現し、人の畏怖と感謝の表現がアニミズムだろう。

自然や生き物、生活にまつわる重要なサイクル、時の移り変わり、そういった広範囲で神格化された対象。

それらの神が宿る場所と、自分達(人)の範囲がある。
その境界線を端境と呼び、そこには目印があるのだ。
端境は大きな岩や石、大木や塚、孤立した谷、泉や湖、もちろん、人の作る社(やしろ)や神棚もそうだ。
端境と自分達の生息域はぎりぎりで重なるが、端境の向こう側はすでに別の域。


それぞれの国柄や人種の文化・神格化する対象により、祈る時期は異なるし、回数もまた異なる。

だからかな、とここで思った。


だから、祈っていない時期でもその力の畏怖するところを身近に持とうとしたのかな、と。



毎日祈ることは出来るが、毎秒考えていることは残念ながら難しい。

まして、祈りが届きやすいとされる端境に出向いて祈るとなると、何か行事や特別な時でもないと、自分の祈りは遠のいている気がするかも。
そこで気になり始める自分と八百万の神との隙間。 距離。


人は弱い。 心が弱くもろい生き物だ。
普段は悟ったふりをしても、いざ想像以外の現実が降りかかると悟ったことさえ忘れるのだ。
そんな自分や、家族、愛する人、思う誰か、を解っているなら。

祈らない距離が、無防備を示唆する距離となるなら。


『未熟で惑う人間を、いかなる時も常にその力の側において守って下さい』、と思うのでは。






お守りは、自分用の都合の良いパワーではない気がする。


その『お守り』として、握り締めるものに籠められた森羅万象の神の一滴。

どうぞここに宿り給えと握る心に、応えてくれた神々の一滴が沁み込むのかも。



私が今日作ったものは、昨日も作った、革と石のもの。

出来たものを見て「お守りみたいだ」と何気なく思ったので、鹿の革でも作ってみようと。
何だかそうしたほうが良いような気がしたのだ。


ここに宿る神様の一滴が、もしあるなら。

もし、神様が一滴の加護をここに預けてくれるなら。


この、鹿の革と黒曜石の生きていた場所である『森』の神様が、ここに。






いつでも森の神様と一緒にいたい、と祈って歩く、町の中。






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