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友達

.24 2010 一滴の栄養の部屋 comment(2) trackback(0)




今日、柚子を入れた紙袋を持って友達が来た。
柚子を見せて、「これ、庭にあった柚子です。お風呂に入れてください。」と渡してくれた。

『夏休みの小学生』だ。
この人はとっても和む人だ。 何でだろう、時間が関係ない相手だと毎回会うたびに思う。
昼過ぎに来てから夜の10時まで、あっという間だった。

でもこれも毎度のこと。
きっと小学生の時にもしも同じ学年で出会っていたら、四六時中一緒に遊ぶような子だろう。
夏休みの小学生と、画家と、私とで、長いはずの短い時間を沢山話し合った。

沢山話し合って、沢山笑って、沢山食べて、時間が過ぎた日。


これが友達かぁ、と、心の中で雰囲気を掴んだ。
そうか、こういうのが友達って言うんだ、と確認する。

年末にもMr.バオバブと今日いる人達と一緒に過ごしたけど、やっぱりその時も同じ感じだった。
会えば、会った時から帰る時まで、ずっと話し続けて、ずっと笑っていられる人達。





柚子を受け取って、コーヒーを淹れて、森に持っていったケーキを出す。










「これ(ケーキ)ね、実験で作ったんだよ」と図書館で借りた本の話をする。

話はどこからでも始まるし、一つの話が二つになり三つになり、どんどん違う方向へ進む。
話し終わることがない。

遠慮することはあるけど。 つい夢中になって話し過ぎてしまうこと。順番に話さないとね。



居心地が良い相手、という存在は稀だ。

人間は表裏があるし、変化がある。だから思い込みだけで近づき過ぎるといけない人間もいる。
私はそうした人間を相当な数で見てきたし、よく知っているほうだと思う。
簡単に誰かを頭から信じないようになったのは、悲しいことかもしれないけど、守るべき大切なものがあるなら用心深くても良いと思えるようになった。
知り合うというのは非常に勇気の要る段階だと思う。



ごくたまに、本当にごくたまに。 信じても大丈夫そうな人を見つけることがある。
今、側にいる友達は、『友達』と呼んでも良い相手だと感じている。



人を信じるというのは、その人を信じることにした自分をもまた信じていなければならない。

散々そのことを学んで、痛いくらい学んで、ぐったりした頃。
それでもまだ誰かを信じようとする、儚く、か細い希望が心の隅にあったのを知っている。



糸は紡がれた。

友達、と呼ぶのに躊躇いと勇気が同時に存在するような私にも、友達はもたらされた。
その人たちの存在に心から感謝を込めて祈りを捧げる。

この人生において、こうして出会えたことを尊く享けとめます。
同じ国に、同じ時代に、こうして生きていてくれる友達に、有難う。











追記・・・ お風呂に入れて温まりました(^^) 清々しい柚子の香に長風呂になりました。




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