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2レプタの意味

.14 2009 一滴の栄養の部屋 comment(0) trackback(0)


人のために用意する食事は、たとえ特別な料理にならなくても自分用とは異なる。
と、私は思う。


自分のためだけなら何となく手を抜く。
必要な栄養が摂れるようには気にするけれど、それを毎食と都合よくは行かない。
ただでさえ普通の人の生活より経済面では狭い動きだ。
自分のためにきちんきちんと一食を満たすということは難しい。


そんな日々の中で、不思議だと思うこと。
自分以外の人が食事を共にするとなると、無い中でもまともに食事を整えようとする。

一般的に当然といえば当然、それはでも、建前だろう。



人が来るからとか、見栄とか、そういう系統ではなくて。
その人に普通の一食を食べていってもらいたいと思う気持ちが生まれる。
材料が心細かろうが大したものが無かろうが、腹6分は満たしてほしいと願う。

さっき、「一般的には当然」と書いた。でも「建前だろう」とも書いた。
それは現実だ。
ゆとりのある生活で、それが毎日なら、お客さんのためにまともな一食でもてなすのは「当たり前」だ。

例えばこうならどうだろう。
月収が12万くらいでそのうちの2万円が生活費となるなら。
この2万円に、食費や生活用品の補充費も、交通費も、仕事の材料費も入っているとしたら。
そんな生活を選んでいるやつが悪い、とかそういった横道に反れるのは今は置いておいて。

この場合、一食を満たすというのは自分だけのためなら、「当然削る」んじゃないかと思う。

「お客さんのいる食事に『まともな料理』を出すのは当然でしょ?」
と言う人の率は言わずもがな。この状況なら減ることだろう。
だから「建前」であろうと感じるのだ。
出来る立場だから、建前当然でいられる。
出来ない立場なら、それは建前ではなくて別の気持ちが起こす行動だ。


私もこういった生活になってみて『なるほど』と感じることが沢山ある。
そんな中で、一食を共に食べる誰かのために、その人の腹持ちの心配をする気持ちを見つけたのは宝物の発見みたいだ。

タマゴとジャガイモと玉葱で、トルティーリャ。
トースト2枚とわずかな青菜とトマト。
一緒に食べる誰かが、お腹減らないように、と思う。


2レプタを献金箱に入れた女性の話の意味を、今知る。
こういう気持ちを学べた日常の一コマに感謝している。
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