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人と人から ~続き~

.08 2009 未分類 comment(0) trackback(0)


いつも考えさせられることがある。
マレーグマでこの横顔シリーズはやっと6枚目だけれど、描く順番を決めている時間に膨大な量の絶滅危惧種の状態を知る。
どの生物にしても、結局は自然の生態系を変え過ぎた人間の影響なのだ。

では、とりあえず、直に頭数を減らす密猟者を取り締まるか。
これに答えて「そうだ!」とはすぐに言えない。 私には黙る時間が要る。

なぜ?の答えは後でにして、

では、間接的に頭数を減らす企業に制限をかけるか。
それも難しい。

これらの答えは、規模が大きい答えだ。そして、そうでなければイタチゴッコだ。
大規模での商業改革と国民の最低限の生活の保障の引き上げが確約できなければ、始められないだろう。
密猟者はなぜ密猟するのか。
企業はなぜ伐採するのか。
ある動物番組では良い線をいっていた。「需要があるからです」と。
それは確かにそうだ。

だが、そこで済んではヒューマニズムではない。
その人たちは「金が欲しい」から需要の絶えない部分を触るのだ。
ではなぜ、「金が欲しい」のか。
違法じゃないなら伐採してもいい、違法じゃないから猟をしてもいい、ということで「金がほしい」人達には『需要供給による』と、指摘して、指導していくことも出来るが。
違法であろうと『金が欲しい』のはなぜだろう。


言い方が失礼で申し訳ないのだが、適当に飯を食っている輩には理解できない。
適当に食事が出来、適当に節約を笑顔で出来、適当に『足りないもの』を帰り道に買って帰る恵まれている生活では、理解に苦しむだろう。

テレビを消しても内容の続きを想像出来るくらいの人なら、『金が欲しい』理由がどのような生活から発生するか考えられる。
頭で分かるのと、現実にそうなるのとでは全く重さが異なる。

実体験は良い理解になるが、もしもそれさえ『体験学習』の枠内であれば『現実』とは似ていない。


現実に、貧困や争いなどのその恐怖や不安の連日連夜を子供の頃から成人するまで生きるというのは、『金が欲しい』結論にたどり着いてしまう大半を生み出してしまう。
1ヶ月くらいで帰って別の生活が待っている人には、例え現地で体験してきても、時間と共に体験学習から感じた怖れや戸惑いは薄れてしまう場合が多い。
あくまで、その過酷な生活環境を強いられて抜けだせない人々が、心の底から意識の底から、何とかして『金が欲しい』人間になるのだ。


似たような話を書いたことがある。
『十字架を作った日』の話だ。

あれは、「菜食主義になって動物を殺すのをやめよう」という訴えについて、考えた時のことだ。
あの時も、「では、肉屋さんや牧場のこと、考えてますか?」と書いた。
加えて、「謝肉の文化や想像観を持つ人々への差別は起こらないだろうか?」とも書いた。

今ここの場で感じることと同じ流れが根底にある。


密猟者は、密猟しなければ生きていけないと、自分で思っているかもしれない。
学もなく、仕事も低賃金で、上手く働けないとか、職自体が制限があるとか、ほったらかせない身内がいるとか、色々な理由。

密猟者を生む社会は、需要を徹底的になくしたところで消えはしない。
私はそう思う。

だから、生活に困っていない中途半端なヒューマニズムが、貧困層を拡大させてしまうのだろう。
「君の行いは悪いことだよ。明日からはちゃんとした仕事見つけな。」
と。笑顔で説教して、とぼとぼ帰っていく密猟者の背中を見て溜息をつくような無責任な野郎が、その現実を直視しない正義感で、人の生活から野生動物の生活までも狂わせていることに気付かない。


保護センターに就職できる人は給料をもらえる人だ。
仕事で帰る家に玄関と居間とベッドルームがあって、バスとレストルームが付いている家に帰る人だ。

学者も調査隊も同じように、学校で学び、更に学ぶ為の環境と教育の整った中で、自分の生活を調整しながら、その上で現地に派遣されて『保護活動』をしている人だ。

電話代を節約しなきゃね、くらいの節約を節約だと思える人。
暗くなったら電気のスイッチを入れる人。
汚れた服を洗濯機に入れることが出来る人。


伐採しないと生きていけない現状、密猟しないと生きていけない現実、
だがその想いに至るまでの過酷な生活と苦労と諦めを、誰が本気で取り合っているのだろうか。

就ける仕事があったら苦労しない、って。
仕事就けるくらいの勉強できたらやったよ、って。
家に電気があっても電気代払えない家だったんだよ、って。
捕まって裁かれるような違法をしたくてするかよ、って。
汚れた服しかないから学校進学できなかった、って。
家族が病気で死んでいくのに医者に連れて行けないんだよ、って。
分かってくれてサポートしてくれないだろ?って。

こういう状況を子供の時分から、ひたすら味わってきた人達に、「それでも他の生物を思い遣って守らねば」と叫ぶのは。

私から見たら、叫ぶ奴の脳みそから変えたほうが叫ぶより効果的だと思える。


なまじ適当に変えた例が、農園の拡大等だ。
森林を切り拓いて、植林や地域固有の植物の栽培をする。
すると、そこで失業者に働き口がある上に、つぶれるような商売じゃないから長く雇用してもらえて犯罪への復帰がなくなる。
そして、植林や植物達は世界中の需要者のもとに廻るので、経済的にも良い。
更に、モノが植物なので、そこに在る以上は地球の為にもなる。
といった内容だ。

これも悪くないが、まず森林を切り拓くとそこで動物が迷惑する。
植林や農園は(話をうんと戻って)確か野生生物の被害補償がないのだ。
そして地球環境に良いとは見た目だ。
砂漠化実験で、植林による森林形成の乱れと土壌の変化の速度への懸念が報告されている。
全てが連鎖でなければ『林』にも『森』にもならないのだ。
だが、植林と農園は、生えれば鮮やかな緑色だが、自然形態が孤立している為に、広範囲での開拓になってしまう。

密猟者や伐採者は晴れて家族を養えるが、それのみを叶えて野生生物を保護する環境作りは、見えにくく、だが確かに遠のく。


規模だ。
本当に何もかもをきちんと徹底して変えるには、挑戦する意識の規模が必要だ。

国ごと動かねば変えられない。
人が及ぼす影響の大きさはもう多くの知るところだ。
それなら、人が人を保護しながら野生の生物も保護しなければ。
同時は難しくても、同時に全部、って言う訳ではない。
やることは多いが、とにかく貧困層のために行なうことを優先して手当てや対処を始めたら。

金持ちや中流まで一緒にするから、不平等が終わらないのだ。


生きたくて生きているのは、動物だけじゃない。
生きたくて、だから生きているだけになってしまっても生きようとあがく人間がいる。
動物も地球も大事に出来るなら、その心でなぜ、変わり果てた人間の悲しみまで変えていきたいと願えないのか。


撃つ人を導いたのは、そこにいた動物ではない。
需要者でもない。
撃つ手を掴んで、「こっちにやっていける仕事あるよ」と言わなかった国だ。


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