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例えば牛の革

.03 2008 一人芝居の部屋 comment(0) trackback(0)



土曜日から病院詰めだった。一緒に暮らす猫が脳の異常を持った生まれで、検査と今後の話で2日過ぎた。 治らない持病の癲癇に苦しむ一生を支えるしか出来ない。

待合室で頭によぎったことがある。
カヌーをやっていて愛犬といつも一緒にいた人の話だった。

愛犬は死んでしまったが、その人は愛犬と一緒にいられるようにその皮を剥いでベストにした。ベストを着るとき、愛犬が今も彼を暖めてくれている。そういう話だった。

実のところ、この話は、『残酷』という言い方で動物愛護団体だか何だかにいろいろと言われたようだ。
私には何故、この話に残酷性を見つけることが出来るのか、そちらの方が理解に難しかった。皮を剥いで、というのが誰かの嫌がることなのか。それを着る、というのが変だと言うのか。
なんにせよ、今もこれからも理解できないと思う。彼のとった行動は、大切で大好きで本当の愛情を伴うから自然に起こった行動だろう。
様々な解釈をされるものだが、頭ごなしに否定するのは感心しない。

私が一緒に暮らす猫も死んでしまったら、私も皮を遺そうと思うかもしれないな、と待合室で悲しい気持ちの中考えていた。一部的にでも、小さな皮を取ってペンダントのように胸に下げるかもしれない。ずーっと一緒にいる。それはただ、大切にしたいだけだ。それ以外の外れるような想いが存在していることではない。

こういうことを『嫌だ』と思う人は牛革製品を見たことがあるだろうか。

溢れるような物の中で日本人は生活している。
写真にあるのは牛の革だ。糸を使わないで穴の並びに細く切った革を縛って作るバッグ。これから作る。
牛の革はどれほど一般的だろう。豚の革の製品に比べて、牛革はどのくらいの率で目にすると思うだろうか。その数は比にならないほどだろう。

スーパーに行けば、誰がどうしてそうなったのか、考えることもない整列したパックの牛肉がある。他の動物もだ。カゴに選んで入れるのは、灰色ではなく血の色の赤い肉だろう。誰かが殺し、誰かが皮を剥がし、誰かが分解し、誰かが切り分ける。だから、手を汚さず、嫌な瞬間も知らず、一日かからず、肉を笑顔で食べれるのだ。牛は大きい。育てて食べようと思うサイズじゃない。何人もそこで牛を食べようと思うから、皆で倒して、皆で食べれるように頑張るんじゃないか。

その時の食べなかった皮を、腐らないように手をかけ時間をかけ、気を遣って長い時間使えるようにするから牛革の製品が生活に現れている。

何か抵抗があるというのだろうか?

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