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心の空洞

.10 2009 一人芝居の部屋 comment(2) trackback(0)

猫がいなくなってから、あまりやる気が出ない。

そういうタイプじゃないはずなので、自分の心境がつかめなくて少し困っている最近。
別にずっと気になっているわけでもないのに、何となくぼんやりしているのはあれからだ。
だから多分。

猫のことなんだろう。





漁港の多い町に住む私。よく漁港の側を通る。

古臭い感じの小さな船が幾つもあって、釣りをする人向けの船や魚介売り場の小屋を道端で見る。
たまにシラスを買う。タコや、天日干の魚も買う。

でも、今日は買わないで通り過ぎた。









畑が連続する道に入って奥に進むと、水鳥が集まる池がある。
人口の大きな池で、池の中には島があるのだ。
水鳥がそこで暮らしていて、子供が生まれたり、渡り鳥が行ったり来たり。

そこを見ているのが好きで、池の周りにぐるっとある道の柵にもたれかかって鳥を見ていた。

遠くに鵜がいたり、白鷺がいる。手前は鴨やアヒルがいた。

今日は長居しなかった。










牧場に着いて羊にあった。

餌をくれると思ってか、人懐こい近づき方をして待っている羊。
餌を持っていないと知るとすたすた消えてしまった。


牧場内で売っていたサザエのつぼ焼きをもらったり、イカのげそ焼きをもらったり。
どういうわけか、今日は親切な人たちの好意を頂戴した。

牧場で売っているミードを買って、少しずつ飲みながらゆっくり歩く。
家族連れもいるけど、今日は人は多くなかった。
暑い日差しの中で日陰のない道を歩くと、ミードの回りが早くなる感じ。


ちょっと日陰に座ろうと思って入った屋根のある場所。

そこでは和太鼓が演奏された。たまたま入っただけなので、とてもついている気持ちになった。







和太鼓奏者は佐藤さんという人で、空間を破裂させて心臓を打ちつけるような太鼓を鳴らしてくれた。
素晴らしい和太鼓。私は和太鼓が大好きなんだ。

30分ほどで演奏は終わり、拍手を沢山して、その場を出た。



そしていつものように、瑞々しく大きな野菜を買って、家に戻った。


いいことは一杯あった日だ。

偶然、という言い方はしないようにしてるけれど、「偶然」の良いことが沢山あった。
そういう日は少ないものだ。
今日はいいことが沢山、偶然に集まった日だった。


夕方家について夕日が沈むのを網戸越しに見送る。

机の前に座って、何一つ作れないで、陽は沈んでいった。



何日か、無理やり作るようにしている気がして、今日はやめた。


良いことはあった。

それを受けても心にある空洞は埋まらない。いつからか出来た空洞。
別のものだから、と分かっていても、空洞があまりに空っぽすぎて目がいってしまう。


ううん、でも、今日はいいことが一杯あった日だった。


何も作れなかったけど、こうやって時間を繰り返していくうちに、

また段々作れるようになる。

良いことがあったらその分、さらに作れるようになって。



時間が経ったら。



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Kinu
御地はもうすっかり日曜日。
eaさんはきっと夢の中。
予想通り湿気を含んだあたたかい空気は
強い風に押し出され、雨が降って
すっかり秋の陽気になりました。
肌寒いくらいです。
今日は一日曇り、ちょっと雨が降るかもしれません。

心の空洞、私も感じたことが何度もあります。
心の空洞は大切なものを失ったとき
ぽっかり空きます。
そこに毎日大切なものへの思いがつまっていたのです。
大切なものがいなくなったとき、
現実の思いがなくなって、空虚になってしまうのだ、と。
でも現実の思いが、思い出に変わって
その空洞を埋めていくことになりますが、
時間がかかると思います。

いい一日をすごされたようですね。
偶然と不思議は私もよくめぐり合います。
偶然と不思議は物思う人によく生まれるように思います。
そして偶然と不思議は
あんがいそうなることになっていた、
と思うことがよくあります。

こじつけといったら元も子もありませんが、
自分が納得すればそれでいい、と。
偶然と不思議をそのまま受け入れられることは
幸せなのだと思います。

よい夢が見られますように。
2009.10.11 01:40
ea
時間の助けを待つことは生きていて多い気がします。
思い出もその一つですね。

大切なものへの思い出が詰まっていたのかも私にはピンと来なかったので、
こんな感情の薄い私に『大切な相手への気持ちが詰まった穴』が在るなんて。
何だか、自分じゃないみたいです。
私自身は生死と会い別れにあまり執着がないほうだと思います。
その時は人並みに嬉しさや悲しさを感じますが、
長引くことは殆どないのです。
多分、誰に対しても期待を持たないからだと思うのですが。
人は人なので、自分との時間が長いか短いか決められない、という事実が、
「無駄に期待をしない」という反応になったのです。

だから、変な感じに思うのです、今の状態。

私は温かい人間じゃない。
どちらかというと、表情に出しているだけで内側は大体冷めている気がします。

そんな人間なのに、自然に死んでいった猫の、自然の摂理としての『死』を、
1週間悲しみ続けているのです。

きっと時間に助けてもらうのだと思います。
Kinuさんが言っているように、今感じている思いが空っぽの空洞に徐々に入って。
それがそのうち『思いで』に変化して。

私の空洞に萬の部屋を作るのでしょうね。

偶然と不思議、見つけやすい目を持っているから会うというだけでもなさそうです。
Kinuさんの言葉にある、物思う人によく生まれる、ということ。
そうかもしれないと私も思います。
思うと引き寄せるのかもしれないですね。
『よく思う』ための要素が、向こうから近づいてくるのかも。

その巡り合わせのお蔭で日々を助けられている私がいます。
世の巡りの中で目に見えない河の恩恵を受けている毎日です。

Kinuさん、良い月が出るといいですね。

2009.10.11 08:50

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