スポンサーサイト

.-- -- スポンサー広告 comment(-) trackback(-)
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

助けること

.02 2009 一人芝居の部屋 comment(2) trackback(0)


今日、知人から電話がかかってきた。

知人は少しの間音信がなかったけれど、どうやらタイへ行っていたよう。
彼は興奮気味に、象に乗った話をしてくれた。

彼女と二人で出かけたタイの旅行で、遺跡を見たり、象に乗ったり、タイの現状を見たり。
写真展があって行ってみると、タイでの戦争での破壊を写真で見たという。
タイの自然も心に焼きついたと話していた。


収穫の多い旅行での経験。


彼の話は続きがあった。

この人はチャリティ・イベントを開いて、環境保護のためにあれこれ動いている人だ。
私に絵を描く話を持ち込む人でもある。

あの動物の絵を何枚か描いた時の、その人。


写真展での一枚一枚は衝撃的過ぎて、呆然としたようだ。
それを目の当たりにする、タイの貧富。

子供つきの浮浪者。物乞い。 手足のない人が路上にいた、という話。

自然は素晴らしいのだけど、その自然も人口増加でどんどん切り拓いているのを見てきた。


強大すぎるほど強大な、その止まらない『マイナス』をどうしよう・・?と、彼は心の中に思いを詰め込んで持ち帰ったのだ。




1時間くらい話したけど、彼は時折息を吸い込んだまま言葉を探していた。


『EAさん、自分達、何が出来るんでしょうね・・・』

『まず、誰もがあれを見たら可哀想だと思うと思うんですよ。 でもどこから手を付けたらいいんでしょう?』

『間に合わないかもしれないけど、でも止めるって(活動を)訳には行かないですから、助けるためにもっと頑張るしかないですね』


こんな言葉の繰り返しだ。

そして、彼の始めた仕事を大きくして行くための話に移った。
海外でも雇用が適うように、そして学校を建てなきゃ、と心底感じたと話していた。



そんなに簡単じゃないから、出来る事だけやっていても所詮は出来ること止まり。
だとしても、やらないで諦めて、自分だけの日常に戻るよりは動き続けるほうが良い。


そう話した彼の心に何が燃え上がったのだろう。

悲しさか、ふがいなさか、哀れみか、自分の恵まれた環境への再認識か。
日本にいるからこそ可能なことがあるはず、と呟いていた。


いずれにしろ、彼は何かを見つけて、その見つけたものは芽を出したのだ。

今まで、『楽しくやりたい』とよく言っていた彼の口癖は今日は一言も出なかったのだから。

ただ、彼がいつでも本当に「何かしなきゃ」、と善意で思っているのは確かなんだ。



実のところ。

今までに、私は彼の行動に疑問があった。
その疑問は質問になったときもあるが、答えはやはり疑問を拭いはしなかった。

そのことについて、私は質問から詰問にするのは避けようと思った。

本人が体験を通した経験をしない限りは、理解しないと分かったからだ。


親身になるという、その意味。

助けるというその意味。

それらを自己満足の範囲で回している様に見えていた。


本気で助ける意味を知っているのだろうか、と私は疑問を持っていた。

チャリティ、というのすら、覚えた言葉を何となく使う感じに聞こえていた。


彼は大真面目にやっていたと思う。だから、心に感じるものを忘れないで持って帰ったのだ。


でも、もし自己満足の枠を出ないなら、命は助けられないのだ。

楽しくやりながらどこかの国の貧しい民が潤うはずはないのだ。

絶滅動物の絵にカッコいい英語の文章を入れたところで、動物はその時も血にまみれている。

植林をしますといった側から、オーガニックコットンの畑を増やすような支持者に回ってどうする。


助けるというのは、無償で助けるというのは、

強く揺るがない決心と欲や自分に負けない歩みが必要なんだ。

常に学ぶ必要と、常に目を覚まして行動する確かな足跡が、何かを変えて、誰かを助けるんだ。





彼は今日、その意味を確認したのだろうか。真面目な人間だから、多分何かを感じている。

そうだといいな、と思いながら、電話を切った。







スポンサーサイト

comment

Kinu
いいお話をうかがいました。

日本に住んでいたときチャリテイーといったら
赤い羽根の募金が思い浮かびます。
それ以外チャリテイーやボランテイアという言葉には
ふれずに暮らしていました。
若く、仕事やなにやらで忙しい日々だったので
自分本位の暮らしになっていたのかもしれません。

アメリカに移り住んでチャリテイーやボランテイア、
という奉仕活動がとても自然に日常に、
普通の人々の暮らしに溶け込んでいるのを感じました。
多分多くの人たちがキリスト教徒であり、
教会の活動として自然にはいっているのでしょう。

私が子供のころ隣組ということばがあって
隣近所がお互い助け合いながら
暮らしていた記憶があります。
冠婚葬祭を互いに手伝ったり・・・
私が渡米して両親が老境に入ったとき
まだ隣組は残っていて
いろいろ助けていただきました。
(ちょっと話がずれました・・・)

海外途上国での内情は媒体を通して
その困窮や深刻な問題を感じていますが
やはり実際にその地に赴いて体感したら
きっと相当なショックをうけるのではないかと思います。

何故かボランテイアとかチャリテイーという言葉の響きが
あまり心地よくうけとれないのですが、
それにかわる言葉もみつかりません。

Eaさんがおっしゃるように
自分の満足と充実感を得るために
「何かをしてあげる」という態度は
本来の奉仕精神ではないように感じます。
でもそれでもしてあげるほうが
してあげないほうよりもいいわけで・・・
そしてはじめはよいことをするつもりで始めて、
次第に本当の奉仕精神に目覚めることも・・・
ですから行動に移すことは大切なことだと思います。
難しいことですね。

困った国をなんとかしようという規模と
近所の困った老夫婦になにかしてあげよう、ということは
違うレベルのことなのでしょうか・・・

奉仕ということを思うとき
いろいろ考えさせられてしまいます。
2009.11.02 23:38
ea
人数や相手は、レベルに関係ないと思うのです。
表現が難しいですね、こういうことは
一人ならいい、30人は無理、という人がいたとして、
その人に奉仕の気持ちが少ないという判断材料にはならないですね?
その人は、自分が出来る範囲にたいして、自覚があるだけなのです。
一人だったら家において生活をしてもいいよ、
とその一人を預かるだけの未来を想像して、
そしてそれが自分に大丈夫かどうかの自覚を通して出した答えですね。

私はその自覚のほうが、奉仕においては最も決心のいるものの様な気がするのです。


今回のブログの中に書いた『疑問』。
これは、その人の中の自覚に対して持った疑問でした。
Kinuさんの仰るように、やらないよりはやったほうがよいのです。
それはそうだと思うので、私は彼に質問を繰り返さなかったんです。
芽を摘む気はないのです。

以前も彼は、やろうという気持ちは純粋に在ったのです。
ただそこに、想像力が働いていなかったことと
自分と仲間のコミュニティが優先だったことが、私の懸念でした。

奉仕には、必ず出くわすものがあります。
それは奉仕をされる相手の現実を見るということです。
相手は何を困っていて、それはどうして起こって、
そして自分は相手にどうすると手助けできるのか。
それを知るのは触れてからの話です。
彼はそれを知らないままだったのです。
情報は沢山入りますが、体験とは違うのです。
体験しなくても奉仕活動は出来るでしょうが、
奉仕活動という形をとるには適っても『奉仕』の続きがあるかどうかは疑問です。

私は「人と人から」

http://blog.goo.ne.jp/cyatai/e/faba27b827f96d4464c42e3e026836be" target=_blank>http://blog.goo.ne.jp/cyatai/e/faba27b827f96d4464c42e3e026836be

という記事の時に、守るという意味について書きました。
彼はこれを読んでいないと思います。
私はこの記事を書いているときに、彼に頼まれた動物の絵を描いていたのです。
彼や、彼のイベントに来る自然愛好派のシンガーに、これを読んでほしいと伝えました。
でも苦笑しているだけで読まなかったのですが。
自分達の言いたいことだけ言う、自分達の感想文が行動に出た、
それはそれで結構だと思いますが、思いつきで助けるのは感心しません。

助けられる側は、助かるなら誰でもいいし、一回でもいいよ、と言うほどの現状です。
その言葉がどんな苦境から絞られた言葉か。
それを創造する心のない人が、
『その人たちはそれでもいいと言っているし』
とその言葉どおりの行動を取るのは・・・

その行動を気紛れに出来る時だけ楽しむ人たちの意識が、
ボランティアやチャリティに参加する意識の始まりで良いとは思いづらいのです。

お金持ちがコインを投げて、拾った物乞いに、
『それで何か食べてね』という。
空腹なら物乞いをしている人は感謝の言葉を言うでしょうが、
そのお金持ちを「助けた人」、「いつも思いやりのある人」と賞賛するのは難しいです。

今すぐ助かることなら今すぐ手を伸ばす、でいいと思います。
でも、長期なら。大きな問題を根本から変えていくなら。
そこに参加して問題の一部を受け取る気でいるなら。
真剣に真面目に取り組まないと、取り組まれる相手も必死で生きているのですから・・・



近所のご老人の手伝いを買って出ること。
その手伝いが、Kinuさんのいつも彼らを気にしている心から生まれているなら、
それはレベルの振分けのない『奉仕』であると思います

2009.11.03 00:46

post comment

  • comment
  • secret
  • 管理者にだけ表示を許可する

trackback

trackbackURL:http://cyatai.blog21.fc2.com/tb.php/312-60285301

プロフィール

ea

Author:ea
EA/ 絵描き・端革細工作者

カレンダー

07 | 2017/08 | 09
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -

最新記事

カテゴリ

HP・端革細工の回廊

Gremz

クリック募金

National Geographic

天気予報

天気時計

Amazon

日本語→英語

最新コメント

RSSリンクの表示

リンク

検索フォーム

月別アーカイブ

QRコード

QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。