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好きな絵

.03 2009 未分類 comment(5) trackback(0)


私はこういう絵が好きで、小さい頃からこんな感じの絵を見つけるとじっと見ていた子だった。


最近は何かと鹿続き。鹿も好き。 それで、こういう絵で、鹿の絵ならとても好きということになる。
牛も好きだけど。

昔から、大きな体の草食動物が、草原や森林を歩いている姿が理由もなく好きだった。
子供の頃に夕日の中で会ったアメリカバイソンの面影がそうさせたのか。
それともどこかで、記憶にないどこかでそうした光景を焼き付けたのか。


知らず知らずの内に、よく描くようになった絵は、得意分野だった写実画ではなくて、洞窟画に思いはせる絵となっている今。




この絵はカード用。

カードを出そうと思っていたので、裏にメッセージを書いてから絵を描いた。
この絵は、指と細い木の棒で描いた。
絵の具はアクリル絵の具を使っているけど、もし膠を持っていたら土を絵具にした。

近いうちに膠を作ろう、と思いながら今日は普通の絵の具。





獣油に灯心を浸してランプを持った、洞窟の絵描き。


真っ暗の洞窟を炎の明かりで照らし出した絵描きは岩壁に、走る動物達を、動物達と生きている自分達を、
狩りのたびに記憶したドラマを、願いを込めて大きく描いた自然の姿を、

多くの時間を使いながら描き続けた。



最近になって、その洞窟画を描いていたのは主に女性だったのではないかという話も出ている。
洞窟に残るのはいつも、男性ではなく女性や子供だったから。

絵の具らしい絵の具もない、そして描く場所は岩だった時代。


それでも人は絵を描いていたんだ。


想像は私の周りを煙のように取り囲んで、ほんの一枚のカードを描いているだけなのに意識はずっと彼方に。







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comment

Kinu
Eaさん、お久しぶりです。
ここ数日忙しくPCを開けませんでした。
リストを目で見て、脳の指令を発信し、
それに従ってロボットのように動いた日々でした。
いろいろしなくてはならないことがあるときは、
リストをすくり、一つ一つチェックしながら
こなすしかないのだな、と痛感しました。

でも月をみる時間はありました。
このこところ秋の晴天にみまわれ、
夜はそれは美しい月が現れて・・・

鹿の絵、いいですね、とっても。
色に魅了されました。
クロースアップの写真はありがたいです。
もし私が鹿の絵を色をつけて描くばあい、
緑色は決して思い浮かばないと思いました。
でもこの絵を拝見して、
在り得るんだ、と驚きました。
色の冒険は難しいです。
現実ばかり追ってしまいますから。
やはりそこにアーテイストの才能を感じます。

今年は美しい紅葉、黄葉が見られそうです。
そして今は落ち葉がヒラヒラ落ちてくるのを
じっと見たりすることがあります。
そして落ち葉の落ち方に
まるで運動競技の審査のように点をつけたり・・・

一気に落ちてくる葉は気の毒だな、と。
弧を描きながらゆっくり落ちてくる落ち葉は
幸せだな、と思ったり。
落ち葉の落ち方、本当にいろいろです。
もう少し経つと落ち葉を見る目が変わります。
タープをつかって落ち葉かき。
かなりの労働なのです。
落ち葉は庭の斜面に毎年落とし
落ち葉は土に変わっていきます。

四季折々、体で感じるのはいいですね。
2009.11.05 11:13
ea
ああ、Kinuさん! お久しぶりです!
どうしたかと思いました(笑)!

先に『トランプ~』の記事のコメントをつけてしまいましたが、
こちらでホッと出来てよかった(笑)

そうでしたか、いろいろとお忙しかったんですか。
Kinuさんはある時からふらっと登場して、それからずーっとコメント下さるので、
ぱたっとコメントがなくなると『具合でも悪いのかな』と。
ご無事で何よりです

これだけコメントで会話があると、まるで近所の人のような感覚になってきますね(笑)

いやいや、本当にご無事で。安心しました


緑色のことなのですが、アーティストであるかどうかは疑問ですよ
私は鹿の体に、緑色の葉っぱの影が落ちた光を描いただけなんです。

木漏れ日の沢山あるところで、たまに影さえも薄く色があるとき。
Kinuさんなら見つけているのではないかな?

その色を、鹿の体に塗ったんです

Kinuさんが四季を見つめている『色合い』。
それらは表現する時に、やはり私と同じような感じで塗られると思いますよ

見ながら描くのと、見たものを記憶の印象で描くのとは異なるのです。
人が芸術と呼ぶのは、そういったものかもしれないですね。
だから、想像外の美しい移り変わりを見せる自然は、
人間からしたら常に芸術の至宝なんでしょうね


2009.11.05 18:38
Kinu
子供の絵を見ると凄いなと思うことが多いですが、
多分彼らの脳には残像が殆どなく、
彼らの思いがそのまま絵に現れるからではないか、と。
ですから彼らの作品は全てオリジナル。
歳を重ねていくうちに、
様々な媒体、実際の作品を目にすることになり、
そのときに生まれた興味や感動が
脳に残像して残っていくのではないかと思うのです。
そして私の場合などは絵を描こうとしたり
何かを作ろうとするときに
その残像が現れてきてしまうため、
自分のオリジナリテイーが出てこないのです。
多分その理由から描きたくても絵が描けない、
ということになるのでは、と思ったりしています。

アートを見るとき、
一番感動を覚えるのは
美しさや、技巧の素晴らしさよりも
私の場合オリジナリテイーが
最も強いインパクトになっているように思います。

こうしてEaさんと日々「会話」することは
私にとってもとても嬉しいことです。
インターネットのやりとりは
現れる文面からその人を感じることになります。
文面からその人を深く感じられるとき、
安心して会話をすることができます。
そしてやはり、心の会話ができるとき
とても嬉しさを感じます。

日本語での会話のやりとりが極端に少ない環境なので、
こうしてじっくりいろいろなことを
Eaさんと語り合えるのは実に嬉しいことです。

これからもいろいろなお話をしましょう。
2009.11.06 02:22
ea
Kinuさんのいうように、子供たちの絵は自由奔放です。
でも、それでも彼らなりに、『本物っぽく描きたい』らしいですが
それは多分、大人の言葉によってでしょうね。
『うまく描けたね』『そっくりだね』というような。
子供は大人に褒められると、それを繰り返したいから、
褒めた大人の『上手い』基準を覚えます。
何回も繰り返すうちに、大人のもたらしたビジョンが、
子供にとって最初の残像になるのでしょう。

大きく育っていくうちに、子供たちは図工や絵などを体験して、
今度は先生という教材の判断にあった作風を求められます。
これもまた繰り返していくものなのですね。

多くの人の場合、ここからオリジナリティを発掘するのはもう大変です
オリジナリティの意味さえ後付になっているのです。
それは言ってみれば、自分の趣味や趣向、得意(楽であること)等で、
それらが個性だと思ってオリジナリティに値すると考えがちなのですね。
残念ですが、この考え方は個性とも独自性とも遠いものです。

それに気がついたのは、私は随分経ってからでした。


Kinuさんの絵を、いつか見る日が来ると良いですね~
その時はどうぞ私にも見せて下さい。

私はKinuさんが絵を描くことは良いことだと思うんです。
こういうことに関してはあまりいい加減な発言は出来ないので普段は言いませんが。
なぜそう思うかというとですね、
それこそやり取りを通してなのですが、書かれる言葉に色が表れているのですね。
Kinuさんの言葉は。

それで『この人は絵を描ける人だろうな』と思ったんです。

Kinuさんは毎日自然の色んな部分を五感で吸収しています。
それは残像に残る、記憶や感動や好み、という材料に分類もされますが、
それだけでは収めきれないものが無意識に積もっていると思うのです。
なぜなら相手が日々変化する、いえ、朝と昼とで既に変化する、自然が教科書ですから。

その自然に毎日、気がつくと目が行くとか、呼吸を通して感じているとか、
そうして生きている人が絵を描けないことはないと思うのです。

もしむずかしいなら、理由は二つくらい。
一つに、絵具の扱いに慣れるまで難しい。
二つに、絵具では自然の色と違うと感じる違和感。
です。

一つ目は、一色ずつで絵を描くことで慣れます。
二つ目は、それはもう当然なので我慢です。絵具は人間の産物ですからね。

Kinuさんとのやり取り。
私はこういう発見をしていましたよ
『絵を描ける人と会えて嬉しいなぁ』と。






2009.11.06 09:02
ea
独自性、とタイトルを打っておいて書いていませんでした

私の気がついた独自性は、(私の場合ですが)私は絵に出ます。
言葉で述べるにはちょっと曖昧です。
なぜなら、私の無意識の窓の奥を見たときしか、
絵に描いているような光景を見ることが出来ないからです。

ある男性が話しかけてきたことがあります。
音楽を作っている人でしたが、私の絵を20枚くらい見て質問しました。
「全部Eaさんの絵ですか?」と訊くのです。
私は「そうです」と答えました。
その男性は理由を話してくれました。
「随分沢山の作風があるから、ジャンルが違う人の絵かと思いました」と。

これは私の独自性なのでしょうね。

私は、私の見たい絵を描いていた時期もありましたが、
今は私がそう見えているものの絵を描いていることのほうが多いようです。
そしてその絵は、何年か前の一心不乱に描いていた絵よりはずっと自由に描けます。

好きとか嫌い、とか、そういう絵の判別は勿論あると思いますが、
光景によって描き方が変化するというのは毎回のことです。

私の知った私の独自性は、自分に見えている無意識の光景です。
それを描いているのが一番自由ですし、その光景は動いているので、
絵に表すときでもいろんな形になるのです。

その中に私が好きだと思う絵のタイプがあると、その時はいつもより嬉しいですね
2009.11.06 09:23

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