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9,500年の時の向こうで

.08 2009 一滴の栄養の部屋 comment(2) trackback(0)



この小さな白いものがなんだと思うだろう。

一緒に写っているのはコースター。 コースターに乗っているのだから、相当小さい。




これはゴミだろう。
と、私は思う。 ゴミ、というけど、種類は自然のゴミ。

だからなんだ?となりそうだが、ここから先が私の好きな話に繋がる。

ゴミの話なら今日はいいや、と思われた方は、明日また。 
ゴミに何があるの?と思われた方は、この先へ。



このゴミは、ゴミとなる前に生きていた。

生きていた時はきっと水辺にいた。 淡水か、海水か、もしくは淡水と海水の交じり合う場所。


今から9500年ほど前、私がこの白いものを拾った場所は海の近くの土手か何かだった。



私の住んでいる場所から車で20分くらい走ると、貝塚に行く道がある。

貝塚はさほど珍しいものじゃないだろう。
日本全国で見たら数千ぐらいの数があるようだから。

でも、私がこれを拾った貝塚は、年代までちゃんと分かるようなものが出土したため、およそ9500~9000年前に存在したと言われている。


この白い『ゴミ』はそこの地層にくい込んでいたものだ。



貝はよく食べられるものだった。

今の海にいる貝と別に何も変わらない。 ただ、海は澄んでいてどこまでも透明だった。関東の海でも。

私が拾ったこの貝らしきものも、とっても綺麗な海水にのんびり生きていたのかもしれない。
それがある日、誰かのカゴやザルに入り、土器のある村まで連れて行かれ、ぐつぐつと土器の中で調理された。
その後、出汁や実を食べた人々の食卓から片付けられて、貝塚と現在呼ばれる場所、広い範囲のゴミ捨て場に捨てられた。



ゴミ捨て場といえども、実際には今のような『ゴミ捨て』の意識とは異なったのではないかといわれている。

これもまた人によって推測の違う部分ではあるが、私が気に入ったのはこういう話だ。



食べ物に関わらず、ありとあらゆる生活のゴミが捨てられた場所だった。
ゴミ、と呼ぶのは少々イメージが違い、『さようならの場所』だったのではないだろうか。
それは感謝を持って、命を終えた物を集める場所であったのでは。

なぜそうかと言うと、食べた後のゴミだけではなく、飼っていた動物の骨もそこに埋まっていた。
そして土器もあった。

動物の骨の状態から調べると、それは長生きをした動物であったと分かる。
土器もまた、使い捨てのようなものではなく、失敗したとかそういう形ではなかった。

一種の、送る場所だったのではないか。



という説がある。



これを「もし本当にそうだとしたら」なり、「でも本当のところは」なり、探ったり発いたりするのは簡単だろう。
でも真実は誰にも分からない。
可能性として、こうした意味あいがあっても可笑しくはない話だ。

そう。 ちっとも可笑しくない。


良い話だ。


私はこの説が好きだ。 そうなら良いのに、と思う。



小さな白い『ゴミ』。 
人は誰かの食べ残しだ、というかも。
それに、そんなものに価値はないというのかも。


食べ残しであろうが価値がなかろうが、誰かの『御馳走様でした』の感謝がかけられた存在かもしれないなら。

それは生きているものの尊さを、常に身近に感じていた人々の置き土産な気がする。



遥か遥か、ずっと昔の誰かの『ありがとう』がこの小さな白い貝から聞こえるのだ。









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comment

Kinu
いいお話お聞きしました。
西暦2009年の今、9000年以上も昔、
と思っただけで気が遠くなってしまいます。
貝殻ひとつでもそんな昔に存在していた貝なら、
私にとっては宝物です。

大事に埋められたものなのか、
たまたま捨てられたのか、
貝の存在を思うだけで、
様々なイメージ、想像が浮かびます。

遠い昔の置き土産は
みんな自然界のもの。
今の時代の置き土産は・・・
なんだかむなしさを感じます。

今雷が鳴っています。
数日前凍えるような寒さですが、
今少しむっとするあたたかな風が吹いています。
そういうときの天気はかなり荒れるので、
ちょっと緊張します。
無事夜が明ければ、と。

御地はまだお日様マークがありますね、
よい一日を。
2009.12.09 10:05
ea
うっかり捨てた、というわけじゃないことは当たってると思います(^^)。
大事に捨てた、というのも変な言い方なのですが、
ご馳走さまの気持ちがあった後での行動が、貝塚行きだったのでしょうね。

飼っていた動物の骨というのは、怪我をしていたらしいです。
生前に主人の狩りについて行ったのでは、と言われています。
そこで怪我をして、狩りに行くことが出来ないまま年を取ったとか。
怪我をして野生にほっぽられたらすぐに死んでしまいます。
だけどその動物は骨が損傷した後に治っていた可能性が在るのですって。
怪我をした後も可愛がられて、そして12歳くらいまで生きたのではと。
人でいったら80過ぎのお年寄り。前足がない動物でそこまで生きるなんて。
それはまぎれもなく、大切にされていたのだ、という結論らしいです。
その動物の骨が、貝塚に埋葬されていたので・・・
貝塚がただのゴミ捨て場というだけの意味じゃない、ということになった話でした。

この話も良い話ですね(^^)

そういういろんなドラマが見えてくる小さな贈り物が、
私にはとてつもない広大な次元を開かれているような感じに思えるのです。
縄文時代はまだ稲作もなく、よって奪い合うという戦争もありませんでした。
人々は行き過ぎない狩猟で自然に同調して生きていたと言われています。
だから私は縄文時代が好きなのです。

Kinuさんの住む大地もまた、古くから同じ肌の同じ骨格を持つ人々が定住していましたね。
そこに生きる人々の遠い昔から見つめてきた空が、
Kinuさんの上に広がっているんですね。

雷鳴は轟いたようですが、お天気はどうでしょう?
今日は晴れ時々曇り、とありましたが。
晴れている時間が多いと良いですね!
2009.12.09 17:44

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