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ありがとうの形

.10 2009 一滴の栄養の部屋 comment(2) trackback(0)









例えば、誰かに伝えたい気持ちがあるとして。

それが「ありがとう」の複数状態だとしたら、あなたはどうするだろう。



私はいつも思うのだが、ありがとうの上の言葉を知らないことは困る。
感謝というのは態度なんだ。
ありがとう、という言葉の最上級はなんなんだろう。

で、私には未だにそれが分からないので、結局『感謝します』を連発した後に行動に出る。



きっとこれが私の『ありがとう』の最上級の言葉なき言葉なんだろう。











本当はもう2枚、ここに写真を載せるつもりだった。 でもやめておいた。
見ないほうがいいこともあるから。

この写真の前に2枚あって、その次にこの写真が来るはずだった。


見ての通り、カードを作っている。

標準よりも小さめのサイズのカードと封筒を作っていた。
考えてみれば何でもかんでも小さめだ。 










こうして包み終える。

そして、写真を撮って気が付く。 まだ足りなかったということに。
この包みは『ありがとう』の言葉が言葉以上の役目を届けてくれるものだ。

そしてこうやって、私が感謝を伝えたい人たちにこの包みが届くわけだ。

だから気持ちが足りないなんてことがあったら困る。
もし包み終えた後で、「あ、あれも入れておけばよかったかな」などと思うのなら包みを解かないと『ありがとう』の満タンにはなれない。





そして私は出かけた。










これが足りなかったものだ。

ある人にはこれが必要だった。 というよりも、これを分かち合いたかった。
これは一昨日の記事に載せたものと同じものだ。



私はこの貝を手に入れたかった。

この貝はそこら辺にあるものじゃない。 遥か彼方の時空の果てからそっと息を潜めてきたんだ。
この白く変化した貝殻をどうしても届けたい。


一つはあまりにももろい為に、土を落とすときに一緒に崩れてしまった。

そのくらい、もうすでに土に馴染むかもしれない変化を続けてきた貝殻。





家に戻った時は夕暮れだった。

風は冷たく吹き始め、消えていく夕日の光が窓越しに薄くなっていた。
戻ってきて最後の贈り物を慎重にケースにしまって、包みを開けて中に入れた。


これで何とか、私の心は箱に詰まった。




一日がかりで用意したわりには大した大きさもない箱に落ち着いたけど、ここに声なき『感謝』が封じられている。


明日はまた何かを作る。
その作ったものがまた、どこかで誰かのために包まれるのかもしれない。

私のもの作りはこの繰り返しのために、あるいは続いているのだろう。



そういう気持ちが茜色に包まれた、年末の一日。









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comment

Kinu
Eaさん、確かに「ありがとう」
という言葉に代わる言葉はないですね。
ありがとうの形もなかなか表現するの
むずかしいものがあります。
でも、ありがとうの深みは伝わります。
気持ちを形に表すのは本当に難しいです。
でも思いをこめることで
ありがとうに深みが加わり、
それは伝わると思います。
単純な言葉ですから
そこに詰め込まれた思いが大切だ、と。

ありがとう、を伝えるとき、
カードを送ったり、
手紙に気持ちを書いて送ったり、
花をおくったり、
何か作って送ったり、
ありがとうの思いを伝えるための
小さなひとつひとつの行動が
その人の思いとなって深みを増していくのでしょう。
ありがとうという単純な言葉だからこそ、
そこにこめられた思いが
余計鮮明に感じられるのだと思います。

ありがとうの本来の思いは、
おくられた品物の価値、大きさ、見栄えでは
逆に分かりづらいものがあるように思います。
形式的過ぎて、あるいは華美すぎて
思いがあまりに過剰包装されてしまって
その人の気持ちが分かりづらいように感じます。

アメリカに来て贈答のやりかた、
いろいろ学ぶものがありました。
形式ではなく、思い。
それが大切なのだ、と。

Eaさんがひとつひとつ思いをこめて
集めたものたち、そしてひとつひとつ
丁寧に包装し、それが誰かに送られる。
そのひとつひとつの行動にこめられた思いは
しっかり相手に伝わると思います。

御地はお天気下り坂のようですね、
風邪などひかないように
あたたかくしてお過ごしください。
2009.12.10 23:35
ea
Kinuさんのコメントをゆっくり考えてみました。
そうだなぁ、と思うのです。

最近になって、人様から送られてきた品々を見つめると感じるものがあります。
以前は分からなかったのですが、今は分かるようになったことです。

本当はそんなことないのかもしれないのですが、
送られてくる品によっては戸惑うものもあります。
その理由は、私のことを無視したものだった時。
送り手にその気持ちはないのなら申し訳ないのですが、
繰り返し送られてくるものでどうしても私が必要ないものは戸惑います。
私と会話して、私という人間を知っていても、なぜだろう?と思うもの。
具体的に書くと、『豪華なもの』『高いと分かる素材のもの』などです。
私はどうしていいかわからなくなるのです。
金や真珠を受け取るのは抵抗があるし、一つで数千円もするような紅茶もコーヒーも悩みます。
商品券や有名店の折込も入っていて、包装紙は店のもので、
メッセージも何もなくて、突然電話がかかってきて
『あれは良い物なのよ』という言葉が飛び込んでくるのです。

よく話してそうしたものへの気持ちをやんわり伝えると、
そこには最終的に「いつも○○してもらってるから」と答えがきます。
そうか・・・と思う心境はやはり複雑なままなんです。


ありがとう、の表現は様々です。
それは重々承知しているつもりですが、
やっぱり籠っているものと籠っていないかもしれないものは雰囲気が違う気がします。

強く両手で手を握ってくれて『ありがとうね!』と言ってくれた人。
私が好きなものの話を覚えてくれていてクッキーをつくってくれた人。
「一緒に来て」と、お気に入りの森を案内してくれた人。
ありがとうでは足りないね、と笑ってくれた人の様々な表現が、
私には殊更素晴らしい『ありがとう』の続きに感じるのです

Kinuさんの仰るように、包む動作や思い浮かべる相手の顔に、
何か喜んでほしくて一生懸命考えてる時間、
その人を思う時間に、『ありがとうね』の気持ちが繋がっているんですよね。

長くなりましたが、『ありがとう』の深みを自分でも大事に大事にしていこうと思います。
2009.12.11 11:40

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