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得て失う学び

.09 2010 一人芝居の部屋 comment(8) trackback(0)




昨日、ある記事を見た。
しばらく頭から離れず、どう・・・見てよいものか悩んだ。

二つの記事に戸惑いがあったのだが、一つは深刻だ。もう一つは別の意味で深刻だ。


一つめの記事は、浮浪者についての記事だった。
浮浪者の人が家族のもとに連絡を入れたくない、いう理由。

派遣村が近くにあって、その派遣村に登録すれば生活保護・就職相談もしているから行ってはどうか?と記者に言われた浮浪者。
すると浮浪者は、就職相談や生活保護の申請で身元が家族に伝わるのは避けたい、と答えた。

理由が悲しかった。全員そうではないだろうが、何人かの人が同じような答えだった。

出稼ぎのようにして全国各地を回る仕事についていた人。
家族には殆どあえなくても仕送りをしながら働いていた。だけど仕事が減ってきて解雇になる。
そのために仕送りできなくなり、別の仕事に就くも、そこまで働き続けてきた年齢では長く雇われずに解雇が近くなる。
繰り返すうちに年は重ねる。40を過ぎ、50を過ぎ、となると、もはや雇う会社もなくなる。
自分の身さえ食わせられなくなる。そしておめおめと帰る事も出来ない、と路上に生活するようになった。
今更職も何もなくなった親父の姿を見せるわけにはいかないよ、と語る。

なんとも気の毒な話だと感じていた。



もう一つの、別の意味で深刻、という記事は。

始めに書くが、この話が実のところは嘘か誠か判別できない。だが誠であったとして。

ある女性が自分は困っているという。
理由を並べていたのだが、『食材を買いこむが調理する気にならない、お腹が減る』
『仮に作ったとしても食器を洗わないから食器をおけない』
『お金がないからローンの返済が不可』
『部屋が散らかっていて物が探せない』
『困っているのに相談しても誰も答えをくれない』
『狭い部屋が悪いと思うから新しい所に移りたいので主人の名義で契約したい、可能かどうか』
まだあるらしいが。こうしたことで困っているようだ。

絶句したのは私だけではないかもしれない。
ある意味深刻だし、ある意味気の毒でもある。
何よりも悩むのは、こうした悩みに困っている人がもしや沢山いるのだろうか?ということだ。


かたや多くを失った人の胸の内。
かたや溢れるものの内に沈む人。

たまたま同日にこの両記事を見たので、頭から離れなかった。




その人それぞれの幸福があるだろう。
私にだってある。

そしてそれを他の誰かが笑っても、その人にとって幸福の状態であればそれは幸福と呼ぶのかもしれない。
ある人にとっては、家族の無事であり、ある人にとっては自由の利くお金であったり。
人それぞれだ。


昔、顔も良く覚えていないが誰かと言い争いになったことがある。
その原因は、幸福の状態について、だ。
私からすれば相手の言い分は短絡的で危険が伴うように見え、相手からすれば私の言い分は理想論だった。

私は、物質的なものに満腹を求めることは所詮不可能だ、と言い続けた。
相手は、精神的な幸福なんて思い込みだ、持続できるわけがない、と言い切った。

今思えば、どちらも言いたいことに間違いのみがあるわけでもなく、また正解のみがあるのでもない。
執着するという欲に生きていると麻痺して見失うし、かといって何もかも切り捨てていく姿勢は新しいものを探そうとする欲を生む。
執着しすぎることのないように、物や時間を大切に受け入れながら、別れの時は別れに従うというのが丁度良いのだろう。

今はそう思う。

人は、得て、失う。
必ずそれは常として流れているもののような気がする。

例えどれほど愛したものでも。
例え通りすがりの瞬きの一瞬でも。

得、失うことの繰り返しなのだ。


そこに何を学び、何を活かし、何を肥やしとするか。
何を尊び、何を決別し、何に生きていることを自覚するか。

どう、生きていくのか。
どうして生かされているこの命か。





一つ目の記事で読んだ浮浪者の人には、きっと私の言葉は風の音に等しいかもしれない。
悲しみが深すぎて、私の言っている事なんて茶番のように響くかもしれない。
そうかもしれない。あまりに辛い日々なのだから。

二つめの記事で読んだ人には、私の言葉は無理解だろうと思う。
聞いても意味がないことを喋り続けるラジオのように相手にもしないだろう。
それでも、いつかの日に私ではない別の誰かがその人の手を取って、迷い路から出るのかも。



いろんなものを失った。
いろんなものを失う、という喪失感が刻まれているのは、それだけいろんなものを得たからだ。
そしてそれを、少なからず失いたくないと思う執着があったんだ。
でも別れの時は来る。
そして、私一人のために訪れた学びは記録されていく。


どう生きていこうと、他人にはなれないし、自分からは離れない。
受け取ったこの生命を、大事にしていこうと今日も思う。












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comment

Kinu
本当に寒いです。
「寒さとは」このことを言うのか、と
深く考えさせられる寒い一日でした。

二つのストーリー、Eaさんの解釈を
興味深く読みました。
この二つの全く異なるストーリーを読んで
それぞれに対し思いました。

最初のお話を読んで思ったことは「家族」のこと。
「家族」とは本来意味は一つ。
でもいろいろな家族が存在しているのですね。
家族の中の人間関係、夫婦、親子・・・
この人間関係の在り方も千差万別。
人間関係、英語ではリレーションシップ。
夫婦とは、親子とは・・・
どういう関係であるべきなのか。
家族はどうあるのが理想なのか・・・
この人は家族がいるのだけれど、帰れない。
本当にお気の毒だと思います。

それと二つ目のお話を読んで浮かんだ言葉は、
「常識」。
どう考えてもこの女性の言っていることは
常識では考えられない、と思うのです。
彼女の考え方に問題がある、と。
ストレートな言い方をすると
精神を病んでいる、と思えてしまいます。

人それぞれの考え方は様々といいますが、
「常識」が崩れてしまったら
何を基準に考えたらいいか分からなくなり
それはとても危険なことではないか、と思うのです。

この二つのお話から私が思ったことは、
「家族」と「常識」でした。
そこからEaさんの発想にもっていこうとしたのですが、
先に進めず、止まってしまいました。

いずれにせよ、どちらもとても深刻な問題だと思います。
私も考えさせられました。
2010.01.09 11:51
ea
Kinuさん、止まってしまいましたか・・・
無理もありません。私も止まりましたもの。
数人のこの記事(二番目)の感想を読みましたが、
やはり皆さんどことなく戸惑っておられる風に感じました。
ですが、ここではたと立ち止まるのです。
この方の話はとても極端な例だとして、この一部一部は身近に聞こえるという気が。
私の身近にはこうした悩みを抱える方はいないのですが、
多くの悩みやトラブルにはこうした影がよくちらついている気がします。

持っていて当然、あって当然、無ければ困る、無いのはおかしい。
そうした感覚は誰でもあるのでしょう。その枠が問題です。
Kinuさんの仰るように、常識という部分が崩れている状態が見られると危険です。
枠が偏ってしまうし、その偏りに気付けないままというのは問題でしょう。
偏りが見つかる場合、治していくことが出来ます。
時間はかかるとしても、見つけられれば。
もしも、偏りの枠が見つけにくい場合。その枠が人目を寄せ付けない場合。
それは非常に問題です。

今は、そうした問題の多くを知らず知らずに抱える人が多いかもしれません。
そのことがどうも気になっていたのでした。

2010.01.09 12:17
Kinu
私が子供のころ倫理社会という授業がありました。
その授業を受けていたときは
若く人生経験もなかったので
授業の大切さ、意味をあまり感じなかったような気がします。
でも今、あの授業の大切さを感じます。

今は好きなときに好きなことを好きな人とする。
携帯電話にしても自分が繋がっている人、
自分が話したい人とのみのコミュニケーション。
(これは特に若い世代)
そして家庭においても家族の間の会話が
非常に希薄になってきています。
加えて情報はますます多く入ってくる。

あまりになにもかも(発想と行動)自由にできることが
常識を変えてしまってきているのではないか、と。
そしてその動きはますます進んでいくにしろ
元には戻らない・・・

これからどうなっていくのか思うと恐いです。
2010.01.10 05:57
ea
Kinuさん、そういえば私の授業にも道徳の授業がありました。
やっぱり道徳の意味がよく分からなくて、「教科書いらないから『道徳』っていいな~」
くらいでした・・・
今思い起こせば、先生は何を伝えていたのか・・・

結構前のコメントで、確か物が沢山溢れる豊かさについて、
ここでお話をした覚えがあります。
Kinuさんも私も、ものがなかったとしたら、ということを
尊重して話していた気がします。

現在の日本(アメリカも)は物質が豊かです。
物に執着するとキリがありません。
行動するときに苦労がいちいち伴わないのです。
最低限の行動は当然ありますが、それ自体も億劫になっている人の話を聞きます。
会話にしろ、対話にしろ、接触にしろ、面倒だから出来るだけ距離が薄い方法を選ぶ。
いろいろなものがありすぎて何もかもが必要な気がして、
更に良いものへ、と目が常に動いています。

Kinuさんのいうように、想像していくと恐いですね。
2010.01.10 09:35
Kinu
常識についてコメントを書きましたが、
読み返して行き過ぎた発想かな、と感じています。

ここ5年ほど日本の事は
インターネットを通して読んでいます。
そしてニュースに取り上げられることは
人の注意をひくテーマにどうしてもなりますね。
長年異国に住む私がいくつかの記事を読んで
常識について語ることはできない、と思いました。

日本にずっと住んでいたなら、
多分上のような飛躍した発想はしないだろう、と。
正確に状況を把握することの
難しさを感じます。
2010.01.10 09:49
ea
Kinuさんは飛躍しすぎたかも、と振り返って思われたのですね。
そうでもないです。きっと。
人の注意を引くテーマ、というのは昨今多くなりましたが、
伝えられる内容に誤りがあるのではないのです。
内容が抜粋されて組み立てられているのです。

ですからその部分がないというような捉え方で受け止めず、
省かれているであろうと思うこと、不明瞭な気がしてくる部分、
そうしたものに気を配りながら全体を捉えてゆく読み方しかできないのではと思うのです。
これは補足になるのかもしれませんが、
常識的な判別の難しい女性の話。あれについては本人の投稿だったのです。
ですから、その方の話を誰かが歪曲したと言うのではないのですね。
となると、やはりこの感想で然るべきか、とも思えるわけです。

Kinuさんは常に謙遜なさいます。
でもこうした部分において、心配なさらなくても大丈夫だと思いますよ。
行き過ぎでない表現と感想をなさっているように感じます。


2010.01.10 10:30
Kinu
Eaさん、いつも優しい配慮を
ありがとうございます。
2010.01.10 10:56
ea
Kinuさんのご配慮に比べたら、わたしなどささやかな気遣いの一つ。
お礼を頂戴して嬉しく思います
2010.01.10 11:12

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