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羅生門は今も常に

.19 2010 一人芝居の部屋 comment(2) trackback(-)



ここ数年でよく聞く話が、最近は日を追うごとに増している気がする。
今から書く内容は、革も自然も関係ない話なので興味のない方は、また今晩に。

そして不幸を知らない人もまた、この話は読まれないほうが良いだろう。
私の体験談も入るので、うざったいだろうから。






どこから話して良いか分からないのだが、思いつくところから話してみよう。
沢山同じ意味を含有する話しがあるけど、印象に強かったものを。


毎日のように聞く、人の命を断つ話、命を脅かす話。 
他人の命でも、自分自身の命でも。

その中で、初めこそ数がちらほらとだったものが、ここのところは2日に一回は聞くようになったものがある。

60代、70代の年齢の事件。


昨日、ハンバーガー屋に強盗が入ったニュースを聞いた。
その強盗は鉈を持っていて、金を目的に強盗に入り、アルバイト店員を脅したと。

強盗の年齢64歳。 
理由は、職と家が一ヶ月前になくなり、お金と食べ物を手に入れるために強盗をしたという。
その時、灯油をまいて鉈で脅したのだが、アルバイトの店員が少し怪我をした。

アルバイト店員の年齢42歳。


強盗に入った男の人は捕まったけど、この人を誰が責めてよいものだろうと思った。



冬に、同じような話を聞いた。
それは牛丼屋に強盗に入った男の人の話。
牛丼屋で注文した牛丼を食べて、食事の後に数千円を奪って逃げた。

見たところ年齢は40代だと。 逮捕されたのかどうかまでは知らないのだが。



この前、私がお世話になっている民商の新聞に乗っていた話。

おじいさんが孤独死をした、という。
そのおじいさんは77歳。
税金を未納だったからと年金を止められた。
発見された時、おじいさんは口を開けたまま亡くなっていたとあった。
孤独死、ではない。

餓死だ。



私の友人から聞いた話も強く心に残ったものがある。

友人が気温の低い日の夕方、買い物帰りに車から見た人。
道路の端に横になっている浮浪者だった。

紙パックのお酒が側にあって、海風の吹き荒ぶ寒い路上でその人は倒れていた。
友人は車を止めることが出来なかったという。
大きな道路で、脇に停められる感じじゃなかった。
そこで友人は少し先まで行ってようやく車を停めて、警察に電話をした。

交通量がある道ではパトカーのほうが停めやすいし、保護してもらえると思ったそうだ。
その後、警察はその人のいる場所に向かって、一通り終えた後の一報をよこした。

浮浪者の人は60代の男性で、職がなくなり家賃を払えなくて追い出されて3ヶ月経ったという。
その人は警察に「ほっといて」と話し、よろめきながら去ったらしい。

その話を電話で聞いた友人もまた、過去にホームレス時期を抜け出した経験があるものの、
現在も職業安定所で日々60人待ちの中、仕事を探しに行く人だ。




最近増えたのは浮浪者の人の話ではない。
増えたといえば増えたが、その続きの話しが増えたのだ。

介護をしていた人が介護疲れで命を断つという話も多い。
その介護をしていた人の年齢はそれこそ60代、70代の人が目立つ。

年金を打ち切られた人が自ら死んでしまう話も、また、犯罪といわれるような行動に出る話も多くなった。

職を失った人が犯罪をしてまで生きようとする、という記事も増えた。



そんな簡単な1,2行の文章で、済まないだろう。




誰かが言う。

命は大切にしないといけない、と。
諦めないで生きないといけない、と。

頑張って、と。

自ら命を絶つなんていけない、と説く人。


上記の話に出てくる人たちにも、目の前でそう言えるだろうか。
生きるか死ぬかの瀬戸際に追い詰められた人たちに、言えるものだろうか。

私だって、命を守りたい。 命は誰の命であれ断ってはいけない、と常に思う。

でも、追い詰められた人たちに何と言って良いのかどうか、考えてしまう。
諦めないで、と言えるだろうか。
そんなことしなくても何とか道を探そう、といえるだろうか。
他にやりようはないの?、と質問なんて出来るだろうか。



私は一昨年、家がなくなった期間がある。

車があったから、雨風はしのげたし寝床も無いわけではなかったが。
それでも普通の乗用車のなかで過ごすというのは難しいことが多かった。

トイレ一つ行くのも、大型スーパーの駐車場に設置されているトイレや公園のトイレだったし、
水を飲むのだって同じ場所の水を飲むために移動する。

眠るだけで警察に真夜中起こされて質問攻めにあう。
何日も繰り返すと警察も顔見知りになるけど、警察が交代するとまた質問攻めを繰り返す。

食べ物を買うのは非常に悩む毎日の出来事になるし、食べ物を買いに行くのでさえ人目を気にする。
ガソリン代は抑えないといけないし、お風呂も数日おきになるし、洗濯はもっと控えることになる。

休日の公園にいるのは嫌だった。 家族連れが多いから。

卵かけ御飯が食べたいと思った数ヶ月があった。
それを知人の家の留守番時に借りたPCから当時のブログに書いたことがあった。

それを読んだある人が、『卵かけご飯が食べれなくなるなんて考えたこともない。そんな生活していてはいけない。あなたを思う人たちのために、もっと自分を大事にして』と言葉を残したことがあった。

私はその言葉を読んで、非常に遠い言葉のような気がした。
その言葉を残した人は良い人なんだろう。
でも、残念なことに、その思いやりの言葉はかえって私の心をえぐっただけに留まった。

見回してみて、無価値と自分を知った時の想いを、その人は知る由無いのだ。

居ても意味がなく、助けを求めても無視が続き、泣いていても気にされない。
苦しんでいても声は聞こえない。 困っていると呟くと周囲から人が消える。
努力をしても結果が改善しないと全ては無かったことになる。
そうではない、と大声で叫んでもその声は言い訳の一端に終わる。

自分を大事にしないなんて、誰が望むだろう。

自分を大事にしたくなかったなんて、誰が望んだというんだろう。
大事にしたかったから、叫んだのだ。大事にしたかったから努力したのだ。
大事にしたかったのに何もかもが滑り落ちたから泣いたのだ。



70代の老人が、なぜその年になってまで餓死をすることになったのか。
60代の男性が、なぜ鉈を握って灯油を持って歩いたのか。
なぜ、40代になってハンバーガー屋でアルバイトしなければならない人がいるか。
なぜ、寒空に垢で汚れた荷物を枕に路上に横たわるのか。
なぜ、介護する人が仕事に就けない年齢で、更に介護なくては生きられない人を守れるというのか。

なぜ。





そして一番最後が来る。


恥をさらして生き延びるか、努力に応じなかった何かが悪いと牙をむくのか。
または死ぬのか。



自業自得だという人もいる。


でも他人には述べない、こうまでなる経緯がある。
その経緯を通る選択肢を選んだ自分に、経験談を話すことは許せても理由を話すのは控えねばと思う。

一つ確かなことは、その時期、『私』を守るものは何もなかったということだけだ。

法律も、人間も、役所も、社会も、何一つ『私』の手を引っ張りあげるものはなかった。
『私』は手を伸ばし続けた。


この『私』は、上記の人たちも含む『私』だ。




私は思うのだが、普通に生きれているときは何とでも言えるものだ。
『自分だったら・・・』『どんな時でも・・・』
好きなように続けられる。
この国ならではの言い回しも言える。
『努力は必ず報われる』『日本でそんな目に遭うことは少ない・・・』
自分より下を見ることもない人の言葉だ。

実際、四面楚歌で何一つなくなったらそう易々と口を開かせてはもらえないものだろう。




羅生門の意味が、分かる。


それでもいけないこと、と分かっている悪がある。
悪を選ぶかどうかは一番最後の選択の時だ。


私だって選びそうになった。

でも選べなかった。 私の場合は過去に「もう二度と下がらない」と誓ったことがあるからだった。
その自分への誓いが、いつ終わるか分からない怖れと人間不信の固まりになった私を抱きしめた。
「二度と落ちない」「二度と下がらない」この言葉が私の中の悪から守った。





今。 貧富の差がどんどん開いている気がする。

別に裕福でもなく普通の暮らしにも満たなかった生活水準の人たちが、更に追い込まれて潰されている気がしてならない。
病院にかかれば生きながらえる病気の人も、病院にかかれずに死ななければならない。
介護される環境があるなら守られるはずの命も、冷たく突き放される。
雇ってもらえない人が多いのに、雇い側が擁護されて無職の人に手当てがない。
仕事が無い、雇われない、生活が出来ない、食べれない、未納が増える、追われる。


皆、普通に生きていたかっただけだ。

皆、穏やかに死ぬまで生きていたいと思ったはずだ。

皆、幸福の時間を求めたはずだ。



羅生門で下人は老婆の話を聞く。
老婆は生き延びるための悪なら許されるだろう、と下人に話す。
死体の髪の毛を抜いて鬘を作るとか、蛇の干物を魚の干物だと偽って売るとか。
下人はその話を聞いたあと、老婆の服を剥ぎ取って逃げるのだ。

闇の中へ。

どう、生きるか。 生きていたいか。 生きるためなら何でもやるのか。
誰かを守るために、自分を守るために。








上手い具合に生きている人は、自分たちのように生きていないからいけないと頭ごなしに蔑むが。
そいつの身ぐるみ剥いでほっぽり出してやりたくなる。

今もすぐ近くに羅生門が立っている。


羅生門が、その姿を日増しにはっきりと鮮やかに現し始めている気がする。





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comment

ea
> > 仰るとおりで、生れ落ちる時は皆まっさらですね。
> > そしてそこから最期までが一つとして同じものがありません。
> > 何が絡んで、何をどう対処したからそうなるのか。
> >
> > どうしようもない時がある、と思います。
> >
> > でもそれでさえ、他人には「自分で選んだんだ」と一蹴されます。
> > 確かに自分で選んだのでしょう。
> > だけど選択肢が1個しかない時もある。
> > 「選ばない」という選択肢すらない時があるのですね。
> >
> > それはもう、本当に腹をくくる時なのですが。
> > これは自分にはどうにも動かせないんだ、と悟る寒気。
> > あれは本当に怖い。 もう嫌です。二度と味わいたくないと思います。
> >
> > その時気がつくのです。「ああ、これが運命なんだろう」と。
> > 絶望や怖れと同時に、運命だと分かるや希望も湧きます。
> > 僅かな希望だけど、不思議なことに少しそういうのもあるのです。
> > 「運命なら試されているということか」と思うからなのですね。
> > 試されている以上、何とかすれば出られるかもしれないと希望が見えるのです。
> >
> > 試されている最中はしょっちゅう消える蝋燭の炎ですが、
> > 変なもので『炎だけは消えないでくれ』と消えても消えてもつける自分がいます。
> >
> > Kinuさんのいう、「人のためなら頑張れる」という意味。
> > 分かる気がします。
> > 自分に目を向けた途端、力が抜けて立てなくなります。
> > 誰かのために頑張ろうと思う気持ち、そのほうが頑張り続けるという・・・
> >
> > その『誰か』を持っていなかったら。
> > 『誰か』がいなくなった後だったら。
> > それも運命の試しなのか、と受け入れるしかないのですね。
> >
> >
> > こうした立場の人々が今はとても増えています。
> > 新聞やニュースに留まらない、近隣や民商の相談の人にも増えました。
> >
> > 浮浪者の中に、高い割合で知的障害を持つ人がいるとありました。
> > 今年は更に増えたようで、話を聞くだけで泣きたくなります。
> > 知的障害をもつ人を、家族が置き去りにするといいます。
> > 障害を持つ人はなぜ一人ぼっちか分からないで、何とか自宅に戻ります。
> > すると玄関口で『お前をもう養えない。皆死んでしまう。だから戻れ。』と言われ、
> > その人は言われたとおりに。
> > そして浮浪者としてある日から突然表で生きるのです。
> > その家族の年齢は、70歳とか。息子は40代だったそうです。
> >
> > 今、無事に生きていられる人はどのくらいいるんだろうと本気で思います。
> > 子供も、大人も、お年寄りも。
> > 無事な人は無事で、そうではない人は酷い状況で生きるか死ぬか。
> >
> > 子供とお年寄りだけでも、そしてその人たちを世話する人たちもまた、
> > 無事であってほしいと心から祈る毎日です。
2010.04.20 10:59
Kinu
私がインターネットで日本のニュースを読むとき
Eaさんが書かれた話題が一番心に残ります。
このごろは子供への虐待の記事も多く心が痛みます。

Eaさんが書かれたことは考えることがよくあります。
「普通」の人生を歩んでこられた自分ですが、
もし「普通」の人生を得られなかったら・・・
もし突然誰にも頼れない状況に陥ったら・・・
もし突然どうにもならない事が起こったら・・・
そのとき自分はどうするだろうか・・・と。

上に書かれたような記事にふれるとき、
もし自分だったらどうするだろう・・・と思います。
でもその状況を実感することはできませんから
実際どうするか、という発想を得ることはできません。
自分が実際にそのような状況に陥らない限り
自分がどうするかは分かりません。

健康であるという条件で思うのですが、
多分私の場合は自分のために生きるよりも
誰かのため、何か他のために生きることを選択すると思います。
何故自分はこんなに不幸なのだろう、
何故自分は・・・
という思いはどんどん自分を不幸にしていくような
そんな気がするのです。
でも自分以外の何かのために自分が存在すると思うと
頑張れるような気がするのです。

でも今健康であっても最小限度の暮らしも間々ならなかったら、
実際そう思いを得ることができるだろうか・・・

本当に難しいテーマです。
自分が生をうけた時代、場所、家庭・・・
様々な要素が絡み合って人の人生が決まっていく。

生まれた時はまっさらな命が
生まれた時から様々な運命に左右されていく・・・

ときどき木として生まれていたら・・・とか
蛍として生まれていたら・・・とか
思うことがあります。
2010.04.20 02:02

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