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思い出すこと・終わらせること

.27 2010 一人芝居の部屋 comment(2) trackback(-)
・・・これはただの日記なので、長くてまとまりがありません。飛ばしてください・・・




思い出というものは勝手に残るものだと思った。
良かれ悪しかれ、印象が強かったり何かしら特徴的だったりすると記憶している。


ここのところ5月の半ばぐらいから、ずっと荷物の片づけをして過ごす毎日だ。
その間、忘れていたものを手にとって、残しておこうと思えたものだけ取って置くという感じで
荷物をまとめてきていた。

昨晩、仲良しの絵描きが「映画を観よう」といって映画を借りてきたので一緒に観た。

この絵描き、非常に過去の経歴が面白い人間で・・・
(人の過去だけど簡単に紹介すると)
十年位前まで格闘家だった人。十数年、リングで闘い続けたという。
普通に仕事をしながら、夕方にジムへ通って、年間で多いときには5回くらいの試合をしていたと言っていた。
トーナメントも入れると年間20試合くらいだった。
本当は大人しい人間なのだが、自分がどこまで出来るのかを確かめる術だったよう。

さて、こんな前置きの画家が借りてきた映画というと大体決まっているのだ。
いつもそうだけど、一緒に観ようとDVDをかけると必ずジャッキー・チェンやジェット・リーの映画。
昨日もそうで、ほんとに好きなんだな~と思って付き合うことになった。

でも、借りてきた映画はそれまでに観た内容と若干違っていた。
カンフーアクションが沢山出てくるのは変わらないのだけど、物語が違っていたのだ。

ジェット・リーの『ダニー・ザ・ドッグ』という映画だった。


映画が終わった後、画家は『あの年で動ける体は・・・』といつものように興奮気味に感動シーン回想を話し続けた。

私はそれを聞きながら、何度も頷いて、何度もそうだねと答えた。
私の中には思い出さなくても良かったものが出てきていた。



記憶が断片になるときがあったり、時折脳裏に浮かぶ見知らぬ光景に悩んだり、
逆に消したくても消しきれない過ちの多さに苦しむことだったり。

人に語れることなんて、当たり障りのない出来事の話しかない。
ほんの少しでも、当たり障りのある過去のほうを話すと良くない。
だけど、それでもいいのだろうと思うようになっていた。

自分で認めて、自分で片付けて、自分で終わらせないといけないことが生きているとある。

過去に対して苦しむなら、過去を見ないようにするのではなくて、
二度と繰り返さないために涙が枯れるまでよくよく見る必要がある。
その後で、先に進むのだ。


最近はその動作が少し鈍っていた。
きっと清算のような片付け作業によって。



ダニーは、首輪をつけられて乱暴な犬のように使われていた男の人。
ある日逃げたダニーが出会った心優しい父娘は、何も知らないダニーを暖かく導く。
首輪を外される時は人を攻撃する時だと叩き込まれてきたダニーは、自分で外すことも出来なかった。
ダニーの首輪の過去を聞きはしないけど、娘はダニーに『過去を切り離す時が来たのよ』と首輪を外す。
ようやくその忌まわしい首輪を、心根の暖かい人によって外してもらえたのだ。

逃亡したダニーに怒る悪漢がダニーを連れ戻す為に、再び首輪をだましだまし着けようとする。
でもダニーはその手を掴んでいう。
『僕は犬じゃない』と。

人間扱いしてくれる人々との優しさに、同時に沢山の恐ろしい出来事を思い出し、
また自らがしていたことに悩むダニーの姿が、
そしてその結果、自分がどう生きて行きたいのかを選ぶダニーの話しが重い。


自分の今までに似たようなことを思い出して、何ともいえない息苦しさを感じていた。

人間を支配するために首輪を使う人間は本当にいるし、
命令を聞かないと命が有るも無いも関係ない仕打ちも実際にある。
人を人と思わない人間は結構一杯いると思うし、私の呼び名は『犬』ではなく『屑』だった。
そして間違いを間違いと思わない行動に無理やり自分を突っ込むことも、
救いなど期待もしなくなる心境が人格を作ってしまうこともあるだろう。




今は、もう違うけど。

今は、もう違う。 もう違うんだ、と繰り返して自分に呟いてみた。



いろんな生き方をしている人がいる。
本当に、いろんな・・・


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comment

ea
運命については随分悩まされたと思います(笑)。
過去が過去であることは、一つはっきり確かなものとして『今じゃない』ことです。
それに気がついても、怯えたり苦しみ始めると抑えるのは難しい。
気がつくまでは非常に長い痛みに生きていたと思うのです。

健全な、と仰った思考。
Kinuさんの書いたように、健全な思考というのは意外に難しい気がしました。
健全と普通は同義語ではないから、
健全な思考の持ち主を知らない人には何がそうであるか理解も出来ないのですね。
周囲にある普通、を基準だと思ってしまう。
何かがおかしい、とどこかで常に感じているのだけが唯一つの灯台です。

運命。いつだったか、誰かの言葉で聞いたのですが、
生まれてくる時と死ぬ時だけは自分で決めてやってくるという・・・
生まれる場所も選ぶし、親になる人も選ぶ。
そしてどんなふうに死ぬことで終わりにさせるか、本人が決めているそうです。
たとえ、事故や不慮の死であっても、自ら断つ以外はそのようです。

それを聞いてから、途中部分は都度起こることの対処しだいで動かすことは叶うのかも、と。
一度人格が形成されると困難は勿論ついて回りますが、
自ら変わりたいと強く信じて行動することで、随分と生き様は変わってくる気がします。


何だか自分に言い続けているみたいになっていますね(笑)
Kinuさん、
Kinuさんという健全な思考の持ち主とやり取りできて、
今は私はちょっとずつ健全さを学んでいます。

Kinuさんは動物に学び、私はKinuさんに学んでいます。
いつか私も、動物の生きる姿勢に自分を重ねて学べるくらいになる日を迎えたいです。


壁ポケットのコメントは夕方に送ります・・・
Kinuさん、良い夢を。
2010.05.28 10:54
Kinu
時にふと思うことがあります。
「生」を受けるというのはとても運命的だ、と。
「生」を持つ全ての生き物は運命的だ、と。
今私は私として生きているけれど、
もしかしたら植物になっていたかもしれないし、
動物や昆虫、魚や鳥になって生まれていたかもしれない。

そして人間と生まれるとしても
何時の時代に生まれるか、
何処に生まれるか、で大きく人生が変わる。

そして生を受けたときは
前にもかきましたがまっさらな状態で、
育てられる過程、育っていく過程で
今の自分がつくりだされていく。
そして思考がしっかりしてくると
自我が働きだして
そこから新たな自分がまた生まれてくる・・・

どんな境遇に生まれてきても
健全な思考ができれば
だいじょうぶなのではないか、と思ったりします。
健全な思考、簡単な響きですが
なかなか難しいことだと思います。

犬のサイコロジーを手がける人の番組をよく観ます。
彼が言うには犬はどんな過去があっても
現在を生きる動物だ、と。
どんな問題を持つ犬も彼のリハビリにかかると
みんな健全な犬になってしまいます。

人間の場合はそんなに簡単にいくわけない、と
思ってしまいますが、
健全な思考を考えると可能なような気がします。
思考は自分の自由にできる能力です。
いやなことを忘れろといっても無理かもしれませんが、
過去のことはもう変えることができないわけで、
常にそのことを意識していても幸せにはなれません。

私にとって心の平静を保つことが
とても大切なこととなっています。
ですからそのことを意識するようにしています。
無理にもっていくのではなく、
考え方に柔軟性をもったり、
角度を変えてみたりすることで
いやなことも案外落ち着いたりするような気がします。

猫的な生き方を今学んでいます。
モデルがたくさんいるので助かっています。
でも奥の深い生き方で、
黒帯までには相当年月がかかりそうです。
2010.05.28 04:55

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EA/ 絵描き・端革細工作者

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