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地獄極楽胸三寸にあり

.08 2010 一人芝居の部屋 comment(4) trackback(-)
0608.jpg
(すごく長いから、お暇のある人はどうぞ)



今日は雨。 でもよく分からない天気みたい。
雨が降ってきて、このまま雨かなぁと見上げると、しばらくして空が明るい曇り空になる。
あれ?と思うとまた少しして雨が降る、という感じ。

二階の窓から外の写真を撮っていたら、一枚に雨の線が写っていてちょっと嬉しくなった。
雨って一瞬のような勢いで落ちていくので、一粒の雨が写ってくれて何となく笑顔になる。



さて、本題。

地獄極楽は胸三寸にあり、とはよく言ったものだと思って。

私は普段は一人でいるのを好むのでひっそりしているのだけど、
たまに相談を持ちかけられることがあり、そうなると何時間も話し込む。

対人というのは実にエネルギーを使うもので、私にとっては気を引き締めて向かうようなところがある。
それも相談となると、相談を持ちかける当人はそんなつもりじゃなくても、
とても強い圧迫感や不安感が部屋中に満ちていくのはあっという間な気がする。


昨夜も人と話していたのだけど、その人は相談という気はないのだろう。
でも知らず知らずのうちに問答のようになるのが常で何時間にも及ぶ。

たまにいるのだが、答えを知りたがる人なのだと思う。

何の答え?というと、自分が不満に思うことや自分の考えにないことが起こったとき、の答え。
これは非常に気を遣う答えで、何せ私は本人ではないのでそもそも答えようがない気さえする。

あまりに執拗になってくると、もう『私に答えがあるのではない』と一言いってしまう。

だけどこうした問答は繰り返されるのだ。
翌々日、一週間後、一月後・・・
その人が再び、『どうしてなんだろう?』『何でこうなんだろう?』と眉間にシワを寄せてこぼしだす。
つまり、答えなんて有って無いような、ただ問答の時間なのだ。



私は思うのだけど。
そしてこの考えを何度となくその人にも話した記憶があるのだけど。

何でもそうかもしれないけど、受け取る気がない人はどんなに答えに繋がっている出来事でも触らない気がする。
それが第一印象で好ましくないものだと認識すると、ただもうそれが嫌で仕方ない。

私もそういう感覚は強くて(人一倍強いだろう)、嫌がるとその嫌気が日常全てに影響してしまう。
だけどそれが答えなら、もしくは答えに近づくものであるなら触ってみないと嫌気はおさまらないわけだ。
逃げても怒ってもくっついてくるものなら、何か今まで試していない方法で対処する他ない。

人に押し付けても、誰かに片付けてもらおうとしても、間違えた方法であるなら対処できないのだ。

それが人によりけりであるなら、尚更自分で解決しないといけないものだと思う。
相談しても気が晴れないのは、自分寄りの答えではないからだ。
自分の成長していない部分を成長させる為の学びが来ているのに、それを今迄の自分のままで越えようとする。
それまでの自分がとってきた方法を一通り試してだめであるなら、それら以外で対処をするのだ。

こういうと簡単に聞こえるのが言葉の恐いところ。
実際はそんなに楽には行かないだろう。 でもだから学びなのだとも・・・ 思うが。


私にいつも誠実な声をかけてくれる人が、よく自分を切り替えるということを話してくれている。
その人のその言葉の意味はとても大変な作業だと、初めて聞いたときは感じた。
でも合っている、ということも勿論分かる。
この場合、私は初っ端から引け腰の姿勢で、今迄の自分に難しいと思われることを認識してしまったのだ。

こうなるとまず、最初にぺタッとくっついた苦手意識から引っぺがさないとならない。
それも一苦労だけど、それが済んだら次は自分の怖れや不安をなだめて心を一度クリアーにする。
自分が臆病で小心者だということを頭の裏側で知りながら、それを無視して平静を保つ。
そしてようやく、自分に『早めに片付けて終わらせれば後は成るようになるから』と笑顔で言う。
『死ぬわけじゃない』から、と。

笑顔で、言う。


これで何度、重たかった一歩が進んできたことだろう。
そこにはいつでもまず、穏やかに幸せでありたいと思う生き方への想いがある。
それは誰からもたらされるものでもなく、
誰かがもたらすことを待つより自分が作り出すことを選ぶほうが早い。

進んでしまえば、それまでくすぶっていた場所はもう背後にある。
自分の影は見えないほうがいい。
影は後ろに伸びるものだ。
そうすれば、自分の真正面はいつでも光の明るさの中にいるということだもの。

自分次第で、と言われる言葉の意味は相当忍耐を試される場合もあるけど、
全てがそういうものでもない。
大きい出来事については確かに心してかからないといけない。
でもそれさえ、自分在りきで起こる事であり、
それが起こるというのは何か得られるものがあるという意味だ。
そして、自分の生き方に満ちていなかった部分を満たす為に起こった出来事とも言える。
以前に、詩を幾つか書いたときにこういう詩を書いたことがあるのだけど・・・


『見てるつもりで、見えない相手』

『深いつもりで、浅い理解』

『広いつもりで、狭い度量』

『正しいつもりで、誤る正義』

『厚いつもりで、薄い信頼』

『要らないつもりで、捨てないプライド』

『強いつもりで、弱い覚悟』

『厳しいつもりで、甘い意識』

『白いつもりで、黒い本音』

『早いつもりで、遅い決意』

『丈夫なつもりで、もろい勇気』

『少ないつもりで、多い欲』

『勝ったつもりで、負け戦』                     (EA机/「夜明けの唄」)


こうしたいろんな自分の中の省みる要素を、その時々で生じるものの内側から見つけ出すのだろう。
善い、生き方をするために。
善い、自分になるために。

逆に言えば、見つけないなら何度でも繰り返すのかもしれない。




話を戻すと、相談をしている人は多分その人自身が答えを知っているのだ。

理解出来ない、と憤る。やりきれない、と肩を落とす。
でもしわくちゃな顔をしていても余計に空気が淀むばかりか、
どうにもならないことにまで否定をし始めてしまう。

理解できなくていい、と思う。理解したって受け入れるとは限らないのだ。
だったら理解できなくても受け入れてみて、その内側で自分に理解できるものを探したら何があるだろう。

やりきれないのはど真ん中にいるからだ。
どうにもならないことなら、笑ってしまって、放っておくしかない。
本当に個人でどうしようもないことなら、それは天を仰いで成り行きを任せるのみだ。



私は相談者の眉間に寄りっぱなしの深いシワに指を当てて左右にぐっと引っ張った。
笑えないのは分かる。でも苦しい顔をして苦しいことに浸っていると出口も光も見失いかねない。


私は思うのだけど、喜怒哀楽あるこの世界で、考えていることを切り替えるとか、
心持ちを変化させて構えてみるとか、そういったことが出来る人は達人なんだと思う。

人生の、達人。

そしてそうした人はいつも一様に、微笑んだり笑顔を絶やさない。
その笑顔の経歴に、震えるほどの恐怖や悲劇があっても、面と向かう人には笑顔を向ける。
偽りでもなくて、無理やりでもなくて。

自分の生きている周りにいる人たちや命たちに、愛のある笑顔を分けている。
慈しみを持って、微笑んでいる。



地獄極楽胸三寸にあり。

私は白帯だな(笑)
私こそ頑張らないと。



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comment

ea
Kinuさん、御地は長い夏なのですね。
本当に梅雨もなく(当然なのでしょうが・・・)真っ直ぐ夏になるのですか。

> 野鳥も日中は口を開けて呼吸しています。
> これから11月くらいまで当地は夏となります。

野鳥が口を開けて息をするって、想像するとよほど暑いのかと。
秋が秋でも夏の一箇所のように11月頃まですぎるのですね。
南部と呼ばれているわけが分かった気がします。


そういえば、私もKinuさんのコメントを読んで思っていたましたが、
昨日遺伝子科学のドキュメンタリーをDVDで観ていたのです。
若干古いDVDなので、現在はまた違うのでしょうが、
人の性格はどこまでが受け継いだ遺伝子によるものかというものでした。
実際、結果から感じたことは、基礎になる性格の質は遺伝性がある感じです。

そして、生活環境や人との関わりの中で神経細胞が増えたり減ったりしているので
例え双子であっても性格はその人の周囲によって形成されていくようです。
かなり大きな作用で・・・
だから途中からでも性格を変えるということが出来るのだろうと思いました。

> 同居している猫をみていても
> 彼らの表情はいつも穏やかで一定している。
> 多分それゆえ彼らから安らぎが得られるのだと思います。
> 世話する以上に得るものが多い、
> だからこんなに数が増えてしまったのかも・・・

これはKinuさんのおかげです。
と、私は思います。
Kinuさんが猫たちを安心できる環境に守っているからでは。

生き物は非常に感覚が鋭いですから、
乱暴な人や偽りのある人の側では落ち着きが無く忙しない姿です。
逆に優しいきちんとした人の側だと本当に穏やかにゆったりしています。
Kinuさんの育て方が良いのです。
それも相当居心地が良いのです。

> 自分の気持ちはなんとか動かせることができる。
> 柔軟性と選択によって。
> 私はこれを自己防衛と思っています。

Kinuさんは宗旨が何かある方ではありませんが、
こういうところはとても宗教的な教えに近いものがある、と
聞くたびに不思議に思います。

私は多くの宗教から学びましたが、活かす訓練についてはもっぱら修行中(笑)
でもKinuさんはそうしたベースになるような思想がないまま、
自分のうちから生み出して捏ねて整えて、それを実行している気がします。

Kinuさんの声に何度となく支えられて、
意地を張るのをやめて自己防衛という理解を身につけ始めました。
本当に善い人に会えたと、人生の宝に感謝しています。

> そして自分の気持ちが安定していると
> 関わりあう相手に思いやりややさしさを与えられる気がします。

私もそうでありたいと、よく思います。
でもKinuさんが仰るように、自然に行なえるようになるまでは
まだ修練が足りないので目標にして目指すのみです。
そういう人になりたいです。
そして、多分ですが、誰もがそうなれたらきっとずっと良いと思うのです。


キツネのこと、Kinuさんは本当にいろんな動物に関わります。
ケンは自分で食べ物を獲れなくなっていたのでしょうね。
弱っていて、人家に近づいて、近づいた家がKinuさんの家で本当に良かった。
最期に優しくされて、ケンは無事に土に帰ったのだと思います。

> 対照的なのはアライグマ。

ははは! かわいいです、アライグマ! 
Kinuさんが見せてくださった写真で沢山のアライグマの写真が大好きです。
本当にかわいい。動きも顔の向け方も、人懐こさも。

騒々しい好奇心旺盛な動物ですが、その逞しい性質がいつも笑顔にしてくれます。
まだアライグマはKinuさんのところに訪れるのでしょうか・・・?
彼女はよほどKinuさんが好きなのですね。


Kinuさん、良い夜を。
そして良い眠りを得られますように。

2010.06.09 07:48
Kinu
このところ暑い毎日が続いています。
野鳥も日中は口を開けて呼吸しています。
これから11月くらいまで当地は夏となります。

ついこの間ラジオで興味深い話を耳にしました。
小さな子供は傍にいる人間(親)の表情から
いろいろなことを感じとり、
それが人間形成にかなり影響を与えているのではないか、と。
言葉を交わせない親と子は
表情や仕種で少しずつコミュニケーションをとっていきますよね。
なるほどな、と思いました。

そういう点では動物の表情は
余程のことがない限り怒りの表情はないですよね。
同居している猫をみていても
彼らの表情はいつも穏やかで一定している。
多分それゆえ彼らから安らぎが得られるのだと思います。
世話する以上に得るものが多い、
だからこんなに数が増えてしまったのかも・・・

どういうきっかけから技?を学んだのかわからないのですが、
自分の気持ちが不安定になることが堪えられず
いかに気持ちを安定に保てるか、
いろいろと自分なりに方法をさぐってみて
なんとなく自分にあったコツを見つけたような気がします。
気持ちが不安定になる多くの場合は
自分以外の人間が関わることが多いのです。
自分以外の人間の考え方や気持ちを操作することはできませんが、
自分の気持ちはなんとか動かせることができる。
柔軟性と選択によって。
私はこれを自己防衛と思っています。

そして自分の気持ちが安定していると
関わりあう相手に思いやりややさしさを与えられる気がします。
もちろん完璧なことはできませんが、
できるだけ心がけるようにしています。
本当は心がけるのではなく、
自然にできれば一番いいのでしょう。

なんだかまとまらない話になってしまいました・・・

下のキツネの目、とてもいいですね。
昔皮膚病に冒されたキツネが庭に来たとき
ケンと名付け餌をあげたりしていたのですが
いつのまにかいなくなってしまいました。
多分亡くなったのだと思います。
キツネはとても悲しい声を出してなきます。
とても静かな動きをして、
繊細な動物、というイメージを持っています。
対照的なのはアライグマ。

よい朝を迎えられますように。
2010.06.09 03:02
ea
イプシロンさん、こんにちは~

> 真面目な会話好きなので、お邪魔します(笑)

ええ、真面目な話や凹んだ話(笑)、私のところ多いです。
もうしょっちゅうです(笑)

> 励ましに必要な言葉って、
> 「その人が必要としている言葉」ではなくて、
> 「その人にとって必要な言葉」なんでしょうけど、

これは本当、そうだと思います。
相手が気がつきたくないんだろうな、と分かる時は尚更悩みます。
本当は知っているんでしょう。でも、その時はそこじゃない。

だけど質問や疑問はひっきりなしヒートアップしてくる。
言ってほしいのか、聞きたくないのか、もう賭けみたいなところです。


> 私も病状が酷かったときは
> 与えてくれた言葉を受け止められなかったり、

こうした心の動きって、誰にでも起こるものだと思うし、
私なんて気を許すと四六時中天邪鬼になりかねないです。
今になって、自分が一番そうした心のぐらつきに悩まされていた時と同じ雰囲気の人を見て、はっとするのですね。
私は医者も病院も行かないで自分の変化を地味にこなしていきましたが、
やはりその経過の中にも他人にどこかで助けを求めていたりしました。

だからそうした時はよく唱えた言葉があります。
『自分で、答えを見つけて、確かめて。』って自分に言い聞かせました(笑)
分かっているんですよね、人に言われたところで聞きやしないって。


> 相談って結局は信頼関係の強弱なんだろうな
> なんて思います。

そうかもしれないです。
昔は、友達や知人ではない人の相談も載っていた時期がありましたが、
そうした時はしみじみ感じたことがあります。

見知らぬ相手に持ちかける相談、むしろ近い人には聞かれたくないこと。
でも真面目に相談に乗る人じゃないと打ち明けるのも難しいこと。
駄々をこねたり、反論したり、泣きついてみたり、
そういう態度って普段の態度と違うから、余計本音に思えるのです。

普段とは違う自分をさらけ出してでも誰かに話しておきたい、と思う人が
多いと思うのです。
だからこちらもその切なさに応える気持ちで、とよく思いました。


> 切り替え、なかなか難しいですが、
> やはり、いつも笑っていたいですね^^

はい(^^)
私もそう努力をしています。

相談者の人の眉間をぐっと開かせてもらった時、
「笑っておられたほうが良いね」と言っておきました(^^)
でも難しいのは百も承知。
難しくても、これは笑顔の鍛錬ですね。

夜明けの唄、立ち飲みの焼き鳥屋で友人と飲んでる時に作ったんですよ(笑)
次々に浮かんでくるこういった情けない思い違いの言葉に、
自分で作ったわりには悲しくなってしまったのを覚えています。

イプシロンさん、コメント有難うございました!
2010.06.08 16:32
イプシロン
こんにちわ。真面目な会話好きなので、お邪魔します(笑)

人を励ますこととかって難しいですよね。
私も私を心配して来てくれた人に怪訝な態度してしまったことありますよ^^;

励ましに必要な言葉って、
「その人が必要としている言葉」ではなくて、
「その人にとって必要な言葉」なんでしょうけど、
それを言ってしまうと相手が傷ついてしまうこと、
多々あるんですよね。

必要な言葉を受け止めるには、
んー、勇気とかエネルギーがいるんでしょうね。

私も病状が酷かったときは
与えてくれた言葉を受け止められなかったり、
全てを否定したりしていました^^;
でも、そんな時でも
心の底では、「本当はこう叱って欲しいんだ。
でも今それを言われたらキレちゃうかもしれないけど・・・」
って自分ではわかってました。
正しいことを言われることに、耐えるエネルギーというか
勇気が少ない時期だったんでしょうね。

相談って結局は信頼関係の強弱なんだろうな
なんて思います。
相手を信じていれば、多少キツイことを言われても耐えれますし、
あとで冷静になった、ふとした瞬間「あ、あの時ああ言われたんだっけ」
なんて思い出して善処したりするのも、また人間でしょうから。
目に見えないところで、ジワジワ効いてきたりするので、
相談に乗ることって決して無駄じゃないですよ。
ただ、乗る方はカロリーの消費が激しくてたまらないでしょうけどね。

切り替え、なかなか難しいですが、
やはり、いつも笑っていたいですね^^

「夜明けの唄」素敵な詩ですね。
自分を省みる良い詩だと感じいりました^^
2010.06.08 15:59

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