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水の如し

.04 2010 一人芝居の部屋 comment(0) trackback(-)
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上善は水の如し、という言葉を知っている人は多いだろう。
日本人なら初めにお酒の名前で思い出しそうだ。

上善は水のごとし、水はよく万物を利して争わず、衆人の恵む所に処る・・・


この言葉を思い返しながら、今日はぼんやりしていた一日だった。
車で日中の酷暑の中、近くの山間に行ったが感動する光景の中でもぼんやりしていた気がする。
それでも、高い木々の木漏れ日が作る、異空間のような光の溢れる場所を見つけたり、
そこかしこアジサイが埋め尽くすアジサイの谷を見るとひたすら感動一色に染まる。
足元を何百匹と飛び交うバッタの赤ちゃんも私の気持ちを持って行ってくれた。


朝、何年も前に書いた文書を見つけて読んでいた。
日曜日はゆっくり寝ようと思っているのに、何故か今日はいつもどおり6時半に起きた。
寝直すのも勿体ないので、身の回りのことを済ませて、そして何となし文書に手が伸びる。
幾つもの原稿用紙の束があるなかで、この文書だけは特別なものだった。
文書は、ある一時期に起こった、聞こえないはずの声に伝えられた話を書き留めた内容だから。

開いたページの数行には、
『別れる時、その人に必要な一滴をもたらしたかどうか。』
『その人にもたらされた一滴を受け取ったかどうか。』
『出会う理由は体にない。心にもない。精神が成長に必要な縁を呼ぶのである。』
とあった。

そして他の章をめくると、
『障害とは、時間が迫ってくる場合に連続して出現する。』
『人間の肉体が終わる前に使命を果たそうとせず逃げ続ける者は、障害を増やす。』
『変化しない日常や潜み静まる年月であっても、時には信じることへの障害になる。』


こんな重い文章を読んで、私はぼんやりし始めた。
『吉も凶も縄と同じ。得るも喪も縄と同じ。それらは交互に絡まり、順に訪れる。逃げてはならない。』
そうだな、としんみり納得する。

朝っぱらから、重い。


老子が残した言葉、上善は水の如し・・・

流れる水は万物を育てつつも自らを主張しない、そして人々の恵みとなる処へ集まる。
穏やかで受身な生き方を大切にした老子。
自然の摂理を見極め、自然から学ぶことの一つ、水の如くあれ、と残す。

老子の言葉は理想だ。
そうありたいと思う。

生まれて、生きて、出会って学んで、会得して別れて、与えて与えられ、奪えば奪われ、
そして魂を返す時、死んで終える修行。


人は自然の一部だけど、人と繋がっている時は人の時間を作る。
全てを、自らの学ぶ振動の流れとして受け取ることが出来るなら、
その時は生きている時間を無駄遣いしていないと感じるのだろうか。

流れる身に意志ありと進むことは可能なのだろか。
弱い体と情操を、自らの持ち物と理解して、奥に宿る精神にこそ生きる。

生まれたことを愛し、生きる時に希望を消さず、生かされることに信仰を持ち、
慈しみを持って人生を運ぶこと。


そう、川となって流れる雨露のように。



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