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心の皺を

.11 2010 一滴の栄養の部屋 comment(0) trackback(-)
09v.jpg




今日は友人と一緒に、32年の年の差がある人と話してきた。

友人が『エアとSさんを会わせたい』という紹介で、
(この人のことは6月30日の記事で書いているので、その一部を『Read more』に載せました)
今回は2度目になる。
1度目は2時間くらい、喫茶店で少し話をした1ヶ月前。
ちゃんと話したらもっといろんなことを教わりそうだ、とその時感じた。
そして今日、訪問に対して快諾してくれたSさんのお宅へ行く日になった。

道が混んでいたので到着が予定より遅れて、午後1時半にその人のお宅に着いた。
(写真は全然違う場所です・・・)


私より32年上の男性、というイメージは、何となく『老後』の定番が頭に浮かぶが、
その人Sさんは全く定番が通らない人だった。

手土産じゃないが、唐揚げと玉子焼きと根菜の煮物を持っていった。
1Rの狭い部屋にまるで壁が迫るように積み上げられた荷物。
キッチンというよりは通路の1Rは、海外はさておき日本ではよくあるけれど、
このキッチンで食事を作るのはいろいろと大変だろうと。
なんてことない普通のおかずだけでも持ってきて良かったかもしれないと電熱を見て思った。

しかし本当に部屋というよりは・・・ 
隠れ家のようだった。



彼の趣味で集めていたジャズを何曲もかけてくれて、
麦茶やコーヒーやチョコレートなどを出してくれた。

話は次々に飛びながら、でも時空をかけるように時が遡ったり浮上したりする。
私と友人は夜8時半まで居座ってしまったが、もう遅いから、と帰るまでSさんは夢中で話していた。
Sさんはやはり、貴重なおじいさんだと改めて分かった。



あまりにたくさんの話をしたのでここに全部書くのは無理だけど、
彼は幾つも大切なことを話していた。

印象的だったのは『心に皺を持つ』という人生の経方。


意味は・・・

喜怒哀楽は普通時でも在るが異常時でも在る。同じ喜怒哀楽でもうねりがあり、その幅がある。
それを『皺』と呼ぶ、心の経験の記録が『心の皺』。

彼は、心の皺を増やして年を重ねる人間がいい、と言った。


Sさんの尊敬するところはいっぱいあるが、特別に感じることが一個ある。

それは、彼は自分をいつでも相手と対等に置く所だ。
意識してそうなのではなく、自然体がそうなのだ。

私は彼から見たら若輩どころか未熟者だと思うが、
年齢なんて彼の目には殆ど関係ないらしく、彼は振舞う。
私の話や考え方を真剣に聞き、友人の茶化しも一緒に笑う。
彼は人生に起こった悲しみや苦悩を打ち明け、涙をためながら私に意見を求める。
67歳の老人が、35歳の人間に、涙ながらに打ち明け話をする。
「それ(彼の過去の出来事)は間違いだったんでしょうか?」と尋ねるのだ。

これは『自分以外の答えを知るため』で、自分で決心したことに残るトゲの正体を知るためだそうだ。

私も友人も自分たちの中にある答えを、よく考えてから伝え、
彼はそれを聞いてうんうんと頷いていた。

そしてまた、面白かった話や笑えるようになった腹の立つ話を笑顔で話し始めるのだ。

こんな風に、出会う人を尊重しながら真面目に会話できる人は珍しいとつくづく思う。
年下だからと未熟者扱いせず、年上だからと体面を気にもしない。
自分の苦労なんて分からないだろ、という扱いもしない。
あなたとは違う生活をしているんだから所詮・・・というのもない。
私の半分しか生きていないんだから・・・とか、そういった目上・苦労人独特の態度は一切ない。

どれほど側にいたって、人間は自分のことしかはっきり知ることは出来ない、と。

察することや同じような体験を通じて理解が深まっても、決して個人個人の心の動きは同じではない。
それは当たり前なんだから、他の人が理解できなくて当然ですよね、と彼は言う。

人は人で、男性は男性で、女性は女性。
人は孤独であると悟り、それを悲しみ、また尚のこと自分を愛そうと悟る。
様々な人生の一場面で訪れた友人・知人・家族の死、
愛情・運命の変化・人との繋がりや誠実さからの出会い。
体験と経験は千差万別で、自分はまだまだ知らないことだらけで勉強がたくさん、だと。

こうしたことを中心に話題は人生を語る。



尊敬するところはまだある。
彼は前向きなのだ。

彼の人生は大きな悔やみが5つある。
だけど彼は、鬱病にもなりパニック障害にもなりながら、自分を勇気づけて生きている。

非常に深刻な内容だったが、それでも彼は前向きなのだ。

敬服、というのは今日感じ入った気持ちを呼ぶんだろう、と思う。
人生に唾を吐かない、そんな真摯な曲がりない頑張りが溢れ出る。
人の愚痴も文句も恨みもない。
彼にとって、人生の感情の存在は、個人へのディスティニー・ギフトでしかない。


Sさんとの会話は、とっても大きな贈り物だ。


積もるような話を足早に駆け抜けた7時間。
本当に良い時間だった。

習うことがたくさんあるが、それは言葉で言うよりも実行していきたい。
Sさんは何度も『今日も勉強になるなぁ』と笑顔で言っていた。

何が勉強になったか、それは本人にしか分からない。
昨日までなかった喜びの幅が増したこと、驚きや感動が幅を広げて感じたこと、
喜怒哀楽の幅の振りが、初めての域である時、心の皺が増える。




心の皺。

私も増やして行くのだろう。
そうやって年をとれる、生き方を笑顔で受け入れて、生きたい。



明日、また絵を描こう。
良い絵が描けるように頑張る。







・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


Sさんについて、6月30日の記事で書いたことを載せておきます。



・・・Sさんは一年間、浮浪者だったことがあるという。
去年の初夏から、今年の初夏までの一年間。

Sさんの実家は個人業者で生計を立てていた。
で、長男だったSさんは家業を継いだのだけど、時代についていけず倒産した。
Sさんが中年になってからの話である。
だからSさんは中年になってから、別の職種で働くことになったのだけど、
年齢と未経験で雇うところも少ないし、雇われ続けることも少ない切られていく年齢対象だったので
Sさんは何とか繋ぎながら生活していたとか。

途中、自身が60代になってから、お母さんの介護をした。
Sさんは、過去に一度数ヶ月だけ結婚生活があった以来独身だったので、
他の兄弟がお母さんの介護を嫌がって、独身のSさんが引き受けることになったのだという。
でも独身だから融通が利くかというと、それはそうではない。
当然Sさんは昼間のアルバイトをやめて、深夜間の仕分けのアルバイトをすることになり、
日中お母さんが起きている間はお母さんの世話をした。

Sさんはくたくたになりながら、Sさんをもう認識できないお母さんの世話を続けた。
その生活が4年間続いた後、お母さんは亡くなった。

お母さんの介護が必要な期間、Sさんは弟が買ったマンションにお母さんと住んでいた。
介護する以前のSさんのアパートではお母さんを引き取るのが無理だったからだ。
弟がマンションを使わせてくれた、という話だった。
で、お母さんが亡くなってからしばらくして、
弟は「自分は結婚するから(※弟も独身だっだらしい)出て行ってくれ」とSさんを追い出した。
その代わり、お金を何度かに分けて貸してくれるという、
Sさん曰く『親切な弟(そ~ぉ???)』の態度に、ホームレスになったSさんは食いつなげたと・・・

ホームレスになってからの生活はたくさん話しているという。
ここではその話は置いておいて。

知人がSさんと話して驚いているのは、彼がとっても前向きだからだ。
Sさんは現在、生活保護を受けながら暮らしている。
生活保護で借りることが出来た安いアパートの話を自慢げにするという。

「駅から近い、きれいなアパート、エアコンは当たり前に付いている、でもロフトが暑い」(笑)。

ホームレスになったときの大変な思い出と、感動した思い出も話す。
でも悲観のない内容で、ちょっとかわいそうな話でも独特のひょうきんな口調で笑っているらしい。

お母さんの介護の話も、数ヶ月で離婚せざるをえなかった僅かな結婚の時期も、
アルバイトでなかなか思うような収入がなかったときも、
Sさんはべらべら他人事のように皆に話すという。

まるで、自分の観てきた映画の感想をあたり構わず聞かせるみたいに。




こういう話を会う前に聞いていた人でしたが、Sさんが今回更に詳しく話してくれたことも加えると、

Sさんは実家の稼業を好きで継いだわけではなかったこと、
ある日お父さんが見ている前で倒れたところから、自分が長男坊だし手伝っただけだったと。
手伝いながら、お父さんはその後良くなることなく他界されて、
大っ嫌いだった家業で倒産するまで40年働いたという。

倒産した家業の続きは、たくさんの借金と自宅の手放しということに繋がった。
自己破産の宣告をすることになり、長男として継いだSさんのそれまでは、何もお金として残るものはなかった。
個人的な借金に関しては自己破産後の現在も終了していない。

倒れたお母さんのこともその後くらいの出来事で、兄弟の誰も面倒を見ようとしなかったらしい。
Sさんは一人で介護をし続け、介護で何度も気がおかしくなりそうになったと話していた。
何度となく自分が死んでいくことを考えたり、踏切が恐かったと当時を思い出して声を潜めた。
介護で疲れて真夜中に荷積みの仕事をして、眠る間もほとんどなく数年が過ぎた日々。
誰でもおかしくなる、と思いながらも、自分が精神的におかしくなることを怖れて薬を飲み続けた。
その間3年。良い医者ではなかったらしく、後半は相談も聞いてもらえない薬だけの辛さだった。

ある日、お母さんが亡くなった。 あっという間の出来事だったという。
急に呼吸が止まった姿を見て、一瞬、辛かった介護の日々が脳裏を掠めたけど、
『もう一度生きてほしい』という気持ちですぐ人工呼吸や心臓マッサージを必死で行なった。
でもその日が寿命だったのだろう。
間もなく到着した救急車に乗って、お母さんは病院に運び込まれてそのまま亡くなった。

お母さんが亡くなった後、荷物の片付けや身辺の手続きをして、新しい昼の仕事先も探し、
しかし年が年でアルバイトで繋ぐしか出来ず、正規雇用はないままの生活が続いた。

兄弟の買った家を『母の介護』として提供されていたSさんは、
お母さんの亡くなった後、兄弟の持ち家ということで追い出される。

そして

ホームレスになった。

1年間のホームレス生活の後、現在は生活保護を受けている。
でも彼は体が元気なうちは、世話になった人たちのために動きたいと、保護生活を抜け出そうとしてる。
他人に『生活保護を受けられているのに贅沢だ』といわれながら、
でも辛かった時に助けてくれた人や支えてくれた人や理解してくれた人を思うと
Sさんは自分に甘えている気がすると本音を打ち明けてくれた。

Sさんはいつでも楽しかった時期のことを話す。
どんな時期でもどんなに苦しい時期でも、楽しかったことがあったり嬉しかったことは覚えている。

人と話したときだったり、誰かの噂話だったり、自分のことだったり。


こういうおじいさんです。


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