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見えない重み

.12 2010 未分類 comment(0) trackback(-)
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先日は森林に出かけていたのだが、その前の日にあったことを思い出していた。

日曜日、人と話していた時間があった。



その人は、今はとても苦しい境遇にいる。
苦しい中で一縷の光を見つけたので、若干救われたものの未だ不安は拭い去れない。
すぐに良くなるわけでもない長期によるダメージの痕に不安定でいる。

失った自信や昼夜関係なく襲ってくる胃の痛みに疲労が隠せない。

日曜日に話をしていた時は酷い状態だった。


気の毒に思うのは、その人が元気だった頃はとても自信家で悩みを知らない人だったこと。
現在は類稀なその姿を一切合財失って縮こまっている。

自信家でもない普通の人が自信を失うよりも遥かに差が広がって深刻に見える。


威張っている感じはなかったが、本当に目出度く思うほど楽観的な人物だった。

悩みと悲しみと後ろ向きで病んでいた私(笑)が最初に出会った時、
こんな人間が本当に生きているなんて・・・と絶句したくらい信じられない性格だった。
何か隠してるんじゃないか、本当は封印している傷があるんじゃないか、と
1ヶ月ほど探りを入れていたくらい(笑)。

とにかく、元気だった時のその人は、作り上げた人物のように力漲る実力の成功者だったのだ。

人の悩みや苦しみなどどこ吹く風。
越えられないことなど人生で起ころう訳がないとばかりに、
波乱万丈な半生を持ち前の鋭い直感と挑戦意欲むき出しの前向きさでねじ伏せてきた。

だから、時々呆れるほど思いやりに欠けている発言に驚かされもした。


それが一転して自信喪失と神経性胃炎に追い込まれた。
何もかもが不調に陥り、努力しても前向きにかじりついても無情に叩き落とされ、
信用を失くし、経歴が過去のものとなり、皮肉にも落差を見せつける派手な重荷になった。

時が重なるにつれ、言い訳に必死になり、壊れ続ける自我に自分一人守れない怖れを知った。

今、その人は長期に渡った絶不調の数年間にすっかり打ちのめされてしまった。


口をついて出る言葉は恨みつらみと愚痴。
その裏側に悲しさとやり切れない空しさが固まりになって張り付いている。

強い口調でしか喋れないところは変わっていない分、
裏側に隠した心が見える度に気の毒でならない。


誰だって、調子の良いときが一変して滅茶苦茶になったら凹んでしまう。

王様が浮浪者になったって、王様だったんだからと一瞥して良いわけじゃない。
格闘技の猛者が病気に倒れてやせ衰えたからって、猛者だったんでしょとあしらって良いはずない。
人気者からロクデナシになったところで、笑ってよいことではない。


ただ、気の毒なだけだ。


学ばないといけないことがあるから、人生は転機が起こる。

人が羨む人生を歩いていた分、転機の先に待ち受ける未来は時として空恐ろしい姿をしているだろう。
学ばないといけないこと、人生の途上で魂に求められること、
それは実はとても単純なことだったりする。

それまでを打ち砕かれても学ぶ必要があったのかどうか、分からないくらい単純かも。


でもそうなんだ、単純なんだけれど真の意味を知るのは難しい。
必死になって過ごしてきて、ようやくその意味の尊さと重さを知る。




打ちのめされて変わり果てたその人。

その人が求められていることは何だろう。


私には何となく、彼に求められているものが見えるのだが、
本人が見つけないといけないものだと思うと余計なことは言えない。

それに多分、私の言葉で伝えてもきっと受け取れない気もする。
他人の目に映っていても、本人の目に映らないことは沢山ある。

嫌な状況を抜けだす為の答えとしてではなく、
成功していた半生と引き換えにしてでも学ぶ必要のあった答えとして、
その重みを見つめる成長が大切なんだ。


求められて学ばないといけないことは誰一人として同じではないから、
その人にはその人の見つけ方があり、受け取り方がある。




彼の場合は(彼はこの記事を読んでいないと知っていて書くけれど)
「慈しみ」が学びなんじゃないかな・・・と感じる。

可哀相なくらい慈しみに欠けた人生だったらしいことは、これまでの会話から知った。
だから彼本人も他人に対して慈しむ気持ちが少ない。
自分に対して、他人が慈しみの心を向けないことに過敏に反応しているが、
それが一体何を根っこに反応するのかまで理解が届いていない気がする。

そして彼はまた、慈しむという言葉を思いつくこともない。

ただただ、「自分は大事にされない」「理解されない」「自分の存在が軽んじられている」と
何かにつけて繰り返している。
逆に、彼自身が他人に対してしていることも、これらと同じであることを彼は気がつかない。
他人を大事に捉えず、理解を求めるが理解を深めようとはせず、他人の存在をその他一群として薄れさせる。

全く相手を思い遣ったり優しい気持ちがないかというとそうではないのだが、
非常に狭い範囲でしかそれが出せないらしい。


自信家だった頃、彼は孤立無援でもそれを鼻高く思っていた人だ。
自分が実力で駆け上がったから、誰もついて来れない、と。
他人が困っていたら助けられる位置にいるから助ける、というだけ。
見返りなんか要りもしない、そういう態度が取れる自分を誇らしげにしていたのだ。

慈しみから生まれた他者への手助けではなく、手助けが可能な自分が好きだったのだろう。



彼は気がつき始めているのだろうか。

思い遣るということの大きさ。一つ一つの存在を見つめる優しさ。
見返りを期待をしないで誰かに力添えできる誠実さ。

見えないものだけれど、どれもとても重みのある大事な心だ。


なかなか簡単に身につくものじゃないかもしれない。

言うのは簡単、行いを通して見つけ出すのは時間がかかる。

私だってそうだ。
誰だってそうなのかも。

でもそうした心が求められている場面が多い彼の人生で、
彼はその大事さを少しずつ覚えていくのだろう。



学ぶ道は荒く長いけど、時々休みながら、丁寧に見つけていけるといいな。

その人が困っている時は、出来るだけ手伝えたらいいなと思う。
頑張り過ぎないように、倒れないように、見守っていこう。


と、この前の日曜日を思い出しながら、考えていた朝だった・・・






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