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十字架を作った日

.02 2009 一人芝居の部屋 comment(0) trackback(0)


アクセサリーではない。十字架だ。
枯れ木の枝と、麻紐と、鹿の革で作ってある。

アクセサリーにしない対象に十字架がある。
山のような想いがあってのことだが、私が十字架をアクセサリーにするときがあるとしたら、私の神様に祈って作るときだけ。
売り物にはならない。


昨日、私の作ったネックレスに十字の穴が開いていた。
昨日の話しはとても長くて最後まで読まれた方は少なかっただろう。
でも、ないがしろに出来ない話だった。
私はたくさんたくさん祈りながら、あの十字を刻んだ。私の神様に祈りながらだ。


昨晩。
私はある人と話しながら、あの話しは問題点の深い大変な話しだと感じた。

動物の命・植物の命・体の仕組み・地球という場所・地球の歴史・人の歴史・現在の社会・先進国・発展途上国・文化・宗教・倫理・人の群れ化・人の孤立化・・・

今日も長い。
大切なことだから長い。


結果だけ書くと、注釈などがない分、疑問や否定があるものだろう。
一から書いたって疑問や否定は起こるものだ。
でも、正確な情報と道徳において意識を高め、個人個人の『望ましい行動』に未来を託していくとしたら、どこかで尻つぼみになるし、どこかで無理のしわ寄せがいくだろうと。
つまり、個人が認識をすることで世界を変えていく方針は、大変なことを作り出すかもしれないのだ。
個々の認識をいけないとは思わない。それは大切だ。
だが、それどまりでは。

社会丸ごと動かさなければ終わりは遠いだろう。
だから、社会で動きを変えなければ、実際は非常事態の警告音にもならない。

語弊があったら申し訳ない。

「肉を買わない人が年々増えてくれたらいい。」
「乳製品や卵を食文化から抜くだけの社会になればいい。」
だがそれは、そこでしか働けない人やそこを切られたら生活に大きく影響を及ぼす人のことまで思っている発言だろうか。
狩人としてしか稼いだことのない人だって沢山いる。学歴はないが、それで生計を立てているという人。
身近で言えば、スーパーの低所得の時給で子育てしている人や、牧場主や屠殺で何年も働いてきた人は、どう対処したら良いのだろうか。
その人数、世界各地で一体どれほどの数で、どれほどの世帯があるだろう。

世界から肉食や動物に関わる仕事の医者と葬儀屋以外がなくなるとしたら。

文化として謝肉が消え、動物と自然とそして人というサークルの伝統がなくなったら。
その考え方を非難されて軽蔑される差別が起こり始めたら。


どれほどのスケールの話しをしたいのか、その人たちは知っているのだろうか。



昨夜の長い会話で相手の人はこう言った。
『俺には、野菜を食べている時点で、その人が自分のこと(命)をとったんだ、って思えるよ。』

『日の光を浴びさせない密集したトレイのモヤシと、ベルトコンベアのひよこの違いが見えない。
自分ちの庭に植木を育てたら、木のために切るって不思議だよ。
木が、生きていなかったら、水をやろうが肥料をやろうが育たないんだ。
なのに、自分の力で自分のおかげで育ったと思ってる。
だったら切っていいのかよ。

モヤシなら良くて、ひよこは惨いって。植物生きてるんだけどなあ。
だからさ、食べなきゃ生きていけない訳じゃんか。
それで、じゃあ「かわいそくない」ほうにしましたって変だろ。』


言葉は悪いがこの人の言っていることは分かる。
私もそう感じるのだ。

やり過ぎの畜産や贅沢思考が危険と無惨を生む。
それは確かに規制を作って、終了させたほうがいい。
だが、自分の家で豚や鶏を屠殺して自給自足している人やそういう文化まで手を出すのは、それなりのことを用意しないと。
猟をしなくても、その後生活していける仕事やレクチャーをするとか。
そういう工場や畜産業で働く人たちの受け入れ先を、解雇する前に作るとか。

食べなきゃ生きないのだ。
やり過ぎの実態は私だって絶句した。でも、食べることへの究極の話題まで及ぶなら、個人の罪悪感に訴えるので終わっては講義不足では。


生かしてもらうために殺して、食べる。
食べて残った部分が欲しいから殺すんじゃない。
折角死んでもらった命だから、使いきろうとする文化がある。

そこも間違いだと言うのだろうか。

野菜なら食べ残しても捨てられるのか。えり好みも贅沢への欠片にはならないのか。
革や骨はひどくて、植物なら鎌で刈ろうが枝を折ろうが木を倒そうが畑のために焼け野原にしようがひどさは微塵もないのか。

もう少し奥へ。
もう少し奥をのぞいて、生きていることがどうすれば出来ることか、見れるといいと願う。

野菜を食べるのは悪いことじゃない。
動物を食べることも悪いことじゃない。
残った野菜の部分で人形を作るのいいことだと思う。
木の家に住むことが間違ったことではない。
骨や皮で生活の物作りや祈りを表すのはひどくない。
間伐材は生きていた木だったのでは?

やり過ぎが、まずいのだ。
やり過ぎを過剰に麻痺させることと、加速させる煽りが惨さを連続させるのだ。

それを止める方法を、それを止めた後の影響へのケアを、
多くの人々に正しく伝えて実現することが成すべき事ではないのだろうか。


正義のために剣を振るうのは正義じゃない。
それは人の都合だ。
剣を下ろして、差別や正義の奔放にまず視点をフォーカスする必要はないだろうか。
私は「ある」と感じた。

多くの生命の奇跡を自然の在るが上で、と

願って、願って、

十字架を作った。



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