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見えない重み

.12 2010 未分類 comment(0) trackback(-)
once.jpg




先日は森林に出かけていたのだが、その前の日にあったことを思い出していた。

日曜日、人と話していた時間があった。



その人は、今はとても苦しい境遇にいる。
苦しい中で一縷の光を見つけたので、若干救われたものの未だ不安は拭い去れない。
すぐに良くなるわけでもない長期によるダメージの痕に不安定でいる。

失った自信や昼夜関係なく襲ってくる胃の痛みに疲労が隠せない。

日曜日に話をしていた時は酷い状態だった。


気の毒に思うのは、その人が元気だった頃はとても自信家で悩みを知らない人だったこと。
現在は類稀なその姿を一切合財失って縮こまっている。

自信家でもない普通の人が自信を失うよりも遥かに差が広がって深刻に見える。


威張っている感じはなかったが、本当に目出度く思うほど楽観的な人物だった。

悩みと悲しみと後ろ向きで病んでいた私(笑)が最初に出会った時、
こんな人間が本当に生きているなんて・・・と絶句したくらい信じられない性格だった。
何か隠してるんじゃないか、本当は封印している傷があるんじゃないか、と
1ヶ月ほど探りを入れていたくらい(笑)。

とにかく、元気だった時のその人は、作り上げた人物のように力漲る実力の成功者だったのだ。

人の悩みや苦しみなどどこ吹く風。
越えられないことなど人生で起ころう訳がないとばかりに、
波乱万丈な半生を持ち前の鋭い直感と挑戦意欲むき出しの前向きさでねじ伏せてきた。

だから、時々呆れるほど思いやりに欠けている発言に驚かされもした。


それが一転して自信喪失と神経性胃炎に追い込まれた。
何もかもが不調に陥り、努力しても前向きにかじりついても無情に叩き落とされ、
信用を失くし、経歴が過去のものとなり、皮肉にも落差を見せつける派手な重荷になった。

時が重なるにつれ、言い訳に必死になり、壊れ続ける自我に自分一人守れない怖れを知った。

今、その人は長期に渡った絶不調の数年間にすっかり打ちのめされてしまった。


口をついて出る言葉は恨みつらみと愚痴。
その裏側に悲しさとやり切れない空しさが固まりになって張り付いている。

強い口調でしか喋れないところは変わっていない分、
裏側に隠した心が見える度に気の毒でならない。


誰だって、調子の良いときが一変して滅茶苦茶になったら凹んでしまう。

王様が浮浪者になったって、王様だったんだからと一瞥して良いわけじゃない。
格闘技の猛者が病気に倒れてやせ衰えたからって、猛者だったんでしょとあしらって良いはずない。
人気者からロクデナシになったところで、笑ってよいことではない。


ただ、気の毒なだけだ。


学ばないといけないことがあるから、人生は転機が起こる。

人が羨む人生を歩いていた分、転機の先に待ち受ける未来は時として空恐ろしい姿をしているだろう。
学ばないといけないこと、人生の途上で魂に求められること、
それは実はとても単純なことだったりする。

それまでを打ち砕かれても学ぶ必要があったのかどうか、分からないくらい単純かも。


でもそうなんだ、単純なんだけれど真の意味を知るのは難しい。
必死になって過ごしてきて、ようやくその意味の尊さと重さを知る。




打ちのめされて変わり果てたその人。

その人が求められていることは何だろう。


私には何となく、彼に求められているものが見えるのだが、
本人が見つけないといけないものだと思うと余計なことは言えない。

それに多分、私の言葉で伝えてもきっと受け取れない気もする。
他人の目に映っていても、本人の目に映らないことは沢山ある。

嫌な状況を抜けだす為の答えとしてではなく、
成功していた半生と引き換えにしてでも学ぶ必要のあった答えとして、
その重みを見つめる成長が大切なんだ。


求められて学ばないといけないことは誰一人として同じではないから、
その人にはその人の見つけ方があり、受け取り方がある。




彼の場合は(彼はこの記事を読んでいないと知っていて書くけれど)
「慈しみ」が学びなんじゃないかな・・・と感じる。

可哀相なくらい慈しみに欠けた人生だったらしいことは、これまでの会話から知った。
だから彼本人も他人に対して慈しむ気持ちが少ない。
自分に対して、他人が慈しみの心を向けないことに過敏に反応しているが、
それが一体何を根っこに反応するのかまで理解が届いていない気がする。

そして彼はまた、慈しむという言葉を思いつくこともない。

ただただ、「自分は大事にされない」「理解されない」「自分の存在が軽んじられている」と
何かにつけて繰り返している。
逆に、彼自身が他人に対してしていることも、これらと同じであることを彼は気がつかない。
他人を大事に捉えず、理解を求めるが理解を深めようとはせず、他人の存在をその他一群として薄れさせる。

全く相手を思い遣ったり優しい気持ちがないかというとそうではないのだが、
非常に狭い範囲でしかそれが出せないらしい。


自信家だった頃、彼は孤立無援でもそれを鼻高く思っていた人だ。
自分が実力で駆け上がったから、誰もついて来れない、と。
他人が困っていたら助けられる位置にいるから助ける、というだけ。
見返りなんか要りもしない、そういう態度が取れる自分を誇らしげにしていたのだ。

慈しみから生まれた他者への手助けではなく、手助けが可能な自分が好きだったのだろう。



彼は気がつき始めているのだろうか。

思い遣るということの大きさ。一つ一つの存在を見つめる優しさ。
見返りを期待をしないで誰かに力添えできる誠実さ。

見えないものだけれど、どれもとても重みのある大事な心だ。


なかなか簡単に身につくものじゃないかもしれない。

言うのは簡単、行いを通して見つけ出すのは時間がかかる。

私だってそうだ。
誰だってそうなのかも。

でもそうした心が求められている場面が多い彼の人生で、
彼はその大事さを少しずつ覚えていくのだろう。



学ぶ道は荒く長いけど、時々休みながら、丁寧に見つけていけるといいな。

その人が困っている時は、出来るだけ手伝えたらいいなと思う。
頑張り過ぎないように、倒れないように、見守っていこう。


と、この前の日曜日を思い出しながら、考えていた朝だった・・・






誰だって

.01 2010 未分類 comment(0) trackback(-)

今日はちょっと時間がない。


昨日今日と作業ははかどっていないのだが、理由が二つ。
一つは私の体調の問題でどうも季節の変わり目についていけないよう。
もう一つは外的な要素に・・・ 

早く言えば相談者に寄り添っている時間が長く作業時間が少ない。

これを書いている今も、じつのところは相談中。
1時間ほど休憩が入ってほんのちょっと自由行動。

こういうことを書くと、私が普段は革のもの以外の仕事でもしていそうだろうが、
べつにそういうことでもない。


相談者、と書くのはあまり良いことじゃないかもしれない。
相手は相談したくてしているのではないから。
でもこの相談者は、少なくとも心に負担を抱えて、胃や腸を痛めて数ヶ月。
私と話して何が変わるわけでもないと、自他共に理解しているのだが・・・

それでも訪れては話し出す。

こういう場合、その人をなんと呼んでいいのか分からない。
とにかく、とても頑張っていて疲れている人だ。


昨日もその人と話していたのだが、煮詰まってきているようで打開策がない。

昨日の話から随分参っているというのは伝わっていた。
だけどどうしたら手伝えるのか・また、荷を楽に出来る方法があるのか、
私にはそこまで具体的に返答が出来ない。

聴くのみだ。

ただ、その人の痛みや本音を聴き続ける。 しか、出来ない。



今日、丸一日それに当てようと思った。

午前中は自分の予定を進めていたが、午後近くになって考えが変った。
どうせ私の作業は体調不良ではかどらない。
だったら、『あの人大丈夫かなぁ』と気に揉むよりも側にいたほうがいい。


午後の早い時間からその人に一緒に散歩に行こうと呼びかけた。

1時間ほど海岸沿いを散歩したが、その間も何度も大きな溜息をついていた。
やり切れなさそうな、追い詰められた怯えと不安がその人を取り巻いていた。
歩いている間、私はほとんど喋らなかったが、
その人はたびたび自分以外の人を見やっては比較して自分を惨めに話した。


家に戻って私は、まだ夕方だけど何か飲み物を飲まないか、と勧めた。
その人は早い時間にお酒を飲む人ではないのだが、今日はあっさり「そうする」と頷いた。
お酒と、夕食代わりになるような食べ物を用意して、その人に付き合って話そうと思った。


誰もが思うどうでもいいことを話して、
今どうにもならないことを話して、
くだらないことにケチをつけて、
大事なことへの不安をぶちまけて下さい。

面白いと思ったことや、気休めの笑いを教えて下さい。
つまらないことで苛立ったことも、
何が可笑しかったのか分からないような笑い声の理由も聞かせて下さい。

今更どうにもならないことや
今私に話したって分かるわけない上に変わりようもないこと、
それでも誰かに言いたくなるような事。


思い通りの返事は出来ないけど、
真面目に聴くことは出来るから言葉にして置いて行って下さい。



こういう前置きの後、私とその人はゆっくり会話し始めた。
というより、相手が喋り始めた。

意外なことに、喋り始めると文句や愚痴を覚悟していたのに逆の話題。
大笑いするような出来事や、くだらなく馬鹿馬鹿しい可笑しい話がごろごろ出てくる。
夢のような話や、理想の生き方や、未来のことも。

そうか。

本当はこういう話がしたかったんだ。
本当は悩みになんて囚われていたくないんだ。
本当は腹のそこから笑っていたいんだ。それでいつだって希望を持っていたいんだ。


今は一緒に笑おう、と思った。

その人はこの時間が終わったらまた、眉間に皺を寄せて溜息をつき、
車のハンドルを叩き、まつげを濡らし、やり切れなさに包まれてしまうだろう。

だから今だけでも誰かと一緒に屈託なく笑っている時間が必要だ。


この時間が何かの役に立つのかどうかまでは分からないが、
少なくとも若干の気晴らしにはなるだろうと思う。

たくさん笑っとけ。

一緒に笑っとこう。




もう時間が来た。

1時間の休憩は早い。相手は仮眠を取ったようだ。
もう随分ろくに寝つけていなかったらしく、さっき突然眠くなったと言っていた。
今はこざっぱりした顔をしている。

さぁ、話の続きにしよう。


誰だって夢見がちな時間が必要なんだ。
生きていれば、夢さえ見なくなる時が来る。

だから尚のこと、ほんの一日でも素の自分になったほうがいい。







小さな絵本・完成の日

.18 2010 未分類 comment(2) trackback(-)
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今日、小さな絵本は完成。

あ~ 楽しかった! というのが感想。
終わり、と筆を置いた時の一言は「かんせ~い!」でした(^^)


右側は少し見えにくいけど、お昼の太陽。
左側は夜のお月様。

太陽が表紙で、お月様が裏表紙。

お月様にはウサギも入れた。
ウサギ、いるから。
杵とうすは必需品。





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太陽はまぶしすぎて、本当に描こうとすればきっと真っ白になっている。
だからちょっと抑えて描いたつもり。





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昨日の続きは呆気なく終わってしまった。

この草の前にはバニラの花が描いてある。
でもバニラは置いておいて。

この草の名前。 ご存知の方もいらっしゃるかもしれないが、
和名は「奇想天外」・・・・・ もっと他に何かなかったのか。

私はこの草の存在を知ってから、是非側で見たい、と思っている。
だけど『世界で最も醜い植物』の4位とはどうしたことか。


このウェル・ウィッチアは凄いのに。

だって何百年も、2000年生きてるという話さえあるのに。
降雨量の少ない砂漠の谷間、
何mも2枚の葉を伸ばして生き続けるその強さ。

感服と感銘意外に何を感じるんだろうか。 醜いなんてあんまりです・・・





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うっかり忘れていた海藻を描く。

昆布。


私が日本人だからか、たった一つ描く海藻類に昆布を選ぶとは。
しかし、昆布はどこの海にでも幅広く生息している。

愛すべき昆布である。




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昆布繋がりではないのだが、気がついたら最後のページは美味しいキノコになった。

個人的にはキノコは大好きである。

もっと赤や薄緑や青いキノコでもよかったかも知れないが、
それに苔ももっと苔らしいものを選んだほうが良いのかもしれないが。
しかし、脳裏に浮かんだ順に描いていくと、
平茸・椎茸・ナメタケとなり、羊歯のような苔と、トクサ類の土筆を描いていた。

土筆、どこにでもあるものなのだろうか。


最後の最後に庶民的な風情が描かれてしまった。





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午後も早くに終えた、小さな絵本。

一息ついたので、海へ出かけた。
海はまだ陽射しが暑くて、死んでしまったカニの忘れ形見が波を見ていた。


まだ泳いでいる人は多くて、少し砂浜を歩いて戻ることにした。
砂浜は何もなく、まるで誰かがすっかり綺麗に掃除したみたいだった。




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お土産になった石。

ゆっくりと狭い砂浜を歩いていると、一つ、不思議な模様のある石が砂に埋もれていた。
何だろうと思って砂を払うと、こんな模様。

一体なんでこんな模様がついたのだろう。

いろいろ考えてみたけれど、真相は分からないまま。
久しぶりに海に来たお土産に、一緒に帰ってもらうことにした。

何だか謎っぽくて嬉しいお土産になった。





小さな絵本。

今日まで合計14日。
後は最後のカードを作って、送るだけ。


良い時間を楽しませてもらったことに心から感謝して。





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小さな絵本・13日目

.17 2010 未分類 comment(2) trackback(-)
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残りがもう少なくなってきた白紙ページ。

もしかしたら明日で終了のこの絵本。
何となく、それが分かってからペースを遅くしていたけど、
終わってしまうとなると少々名残惜しい気もする。


100ページの白い紙を、小さな絵が埋め尽くす、字のない絵本。
一つ一つにささやかな発見や感動があって、
どの絵も少し不恰好でかわいい絵になってくれた。

そっくりじゃなくていいけど、かけ離れても困る。
特徴はちゃんと抑えておきたいけど、複雑にはしたくない。

そういう簡素なイラストが、
私以外の誰かにも笑顔をもたらしてくれたらいいな。



明日は草花。 でもすぐ次の羊歯や苔に続く。

今日の花は、泰山木の花。英名マグノリアの大きく白い貴婦人のような花。
マグノリアという名前は人に教えてもらった。
心に印象的に残る花の一つだ。

もう一つはトケイソウ。
私が5才くらいの時、ガラハ神父様という人がトケイソウの種をくれた。
ガラハ神父様の青い目が恐くて、私は神父様から泣いて逃げていた。
神父様は何とかして私に好かれようと、このトケイソウの種をくれた・・・という話。

ごめんなさい、ガラハ神父様。
だって、青い目の中に黒い点があるのは、私初めて見たんです。




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これはアカシアの木・・・なのだが。

アカシアを描こうとして、色と幹の太さを間違えると松になると知った。
このアカシアは若干、松である。

青々していてはアカシアらしくないのだろう。
松は青葉というほどだから、青々したほうが松である。

う~ん。 いつか再チャレンジを試みたい。




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大好きな木、バオバブ。

名前がもう何だか好感度が高い気がする。バオバブ。
大きくて大らかで、逞しくて、どっしりした、
とてもとても美しい木。

でも描きあがるとこれもまた、若干大根のようで・・・

余計なことに気付かない楽観的な視点が欲しいものである。

画家に見せて、「これ大根じゃないよ」と前置きしたら、
「分かるよ、バオバブでしょ」と言ってくれてちょっと安心した。

はたして今後、大根とバオバブでどれくらいの意見が分かれるのだろうか・・・

知りたいような知りたくないような。




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不思議な形の木は本当にたくさんあるけれど、マングローブもそう。

マングローブの根を見て、それに干潟や川に生えているのを見て、
本当に目を丸くした子供時代。
TVで見るしか出来なかったマングローブだったが、本当に植物はすごいな、と思った。

たくさんのマングローブに支えられている水辺の生き物。
生態系はどんなところでもどんな不思議な光景でも、
ちゃんと巡り生かされている。

それを初めて感じた、マングローブの森。




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驚いたのはセコイア。
この木は世界で最高の大きな大きな木。

このページでは間に合わないくらい、実際はとても巨大なんだろう。

でもセコイアの木を加えたかった。
私が好きだった熊のぬいぐるみは、タグに名前がついていて、
「彼の名前はセコイアです」と書かれていた。
金茶色の毛をした、やけにリアルなヒグマのぬいぐるみで、とても好きだった。


セコイア、いつか側に行ってその木に抱きついてみたい。
どのくらいの時を生きているのだろう。



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人間と比較するとこうなるようである。

植物は寡黙な隣人。
美しく、寡黙で、逞しい生命力の壮大な歴史ある生命だ。


小さな絵本・12日目

.16 2010 未分類 comment(2) trackback(-)
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雨の日だった・・・ 暗くなるのが早かった。

でも今日はちょっと例外の絵を二つ、
それとその描いている時を写真に撮ってみた。


例外の絵、というのは、
この絵本が出来上がってから渡される先が外国という理由があって。
その人は多分日本に住むことはこの先ない人。
だから、桜と藤の木を描いて、この絵は黒い縁取りの線がない。
縁取りがないほうが思い出しやすい気がした。

桜と藤、日本らしいなと思うのは私だけかもしれないが。



さて絵。


これも理由つき。
ちょっと訪れた先のブログに書いてあったことを読んで。

とても綺麗なキラキラした写真をとる人のところへお邪魔したのだが、
しかし本当にどの写真も光がちりばめられたように眩しい。
被写体が花やクモの巣やなどのほっこりする自然だから、本当に美しい。

その人のカテゴリーに興味がある項目があり、
そこの記事は一つしかなかったので拝読しようと開いてみると・・・


その人の友人に水彩画の話を聞いたという。
友人の方は、初心者は良い筆を使ったほうが良い、と教えてくれた。
弘法筆を選ばず~の話は、彼は良い筆をたくさん頂いていたからだと(これ知らなかったからびっくり)。

特に弘法筆を選ばず、は、私は良く知りもしないで真に受けていた。
だから真に受け続けて人生の半分の時間、
安かろうが粗悪だろうが、どんな筆でも道具でも使ってきたのに~


そうだったのか~と少し呆然としたのだが、
もっとびっくりしたのは、初心者は1万円くらい出して筆を買うほうが良い、ということ。

3本で1万円の筆・・・ 畏れ多くて私使えるかどうか・・・
と、読み進めていたのだけど、ブログを書いている人は『高い筆』に困っていた様子。(ですよね)


ちゃんと習ったことのない私が言っても何の説得力もないのだが、
確かに、いかに、平均3千円の筆×3本は、即戦力に頼もしい気がする。
でも初めて水彩画を習う人が使う心境は、「・・・・・」になるのも分かる。

改めて、私は今の自分の家にある画材などを見つめてしまった・・・


と・・・・・ 点々だらけで読みにくくて申し訳ないが、
そういう記事を読んで、昼頃脳みその中はそのことでクルクルしていた。

先ほど、画家にその話をしたら「え!」と止まってしまったので、
筆ってそんな高いほうがやっぱり良いのか?と続けて訊いてみた。
彼は何百本も持っているのだが、その筆の中で一番高いのが丁度3千円くらいのもの。
それ以上は自分に見合うかどうかで購入を考えるものだ、と話した。


人によって受け取り方は異なるだろうが、
絵を独学で描きながら20年くらい経ってしまった私には、今更だけど勉強になる話だった。





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(絵の具ついてる状態の筆↑)


で、今の絵本をどういう筆で描いているかというと。

この筆1本で描いているのだが~~~
何だか恥ずかしくなってきました。
画家が『あげるよ』と言って、いつだったかくれた筆で、多分200円・・・

ごめんなさい、水彩画真剣にやってる方々・・・ なんか申し訳なくなってきた。
筆、選んだほうが良かったか~





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パレットなんて、1L飲料の紙パックの裏だもの

アクリルだと多分これじゃ絵の具作る場所が間に合わないのだけど、
水彩の絵の具ってほんの少しで充分間に合ってしまうし、
まして描くサイズが小さいとなると、パレット出してきて使うまでもないと・・・

ずぼらな私は『あ、これ使えるじゃんか』のまま、使い続けてしまった。

だってパレット洗ったら、絵の具は河川に悪いって画家が言っていたから~
そんな画家はペーパーパレットで描き続けているけど、要は紙パックの裏でも同じと思って。




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水入れはピーナッツバターの空き瓶です。。。

もう言い訳してもどうにもならない気がしてきた。
水が汚れて色が悪くなる、というのは、水の濁り方によってはあまり問題ない気が。



こんな感じで私は絵を描いているのです。

絵の具は小さいチューブで178円のホルベイン。
色によってはもう少し高いけど、多分200円行くか行かないか。
セットで24色変えれば、はじめの出費は高く感じるけど、
大きな絵でも描かなければそんなに一気に減らないと思う。

紙は水彩氏の綴りを買えれば、あとは   筆か~
どうなんだろう~筆・・・ やっぱり高いほうが質は良いけど、でもなぁ。

私が貧乏性だからか、この安画材で数え切れない絵を描いてきたからか、
そんな絵でも仕事になったときがあった経験からか、
安くっても大丈夫だと思ってしまう。




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この安筆と安い絵の具と、その他諸々・自宅で簡単セットによる、藤を描いてみます。

まずは暗い茶色の色を溶いて、藤の木のねじれて上がる幹を描きます。

この紙自体は水彩をはじく紙で水彩向けの紙ではないのですが、
水彩紙だと薄く溶いた水分の多い色で塗っても充分色が乗ると思います。

薄く、全体の形に色を置いて、そのあと少し乾いてきたら、影の凹凸を同じ絵の具で入れます。
いたって普通の進め方です。



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葉っぱを描いていきます。
葉っぱはもう、何となくです。 この葉っぱは水彩の方法とは逆の塗り方をしています。




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濃い色を濃度を高くして塗り、その上に明るい緑色を少し低い濃度に作って重ねています。

この辺は普通やらないと思います。
私が見たいような状態にしたくて、こんなことをしているのですが、
習うと絶対こういう風には習わないと思います。

人ぞれぞれです。




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葉っぱが乾いたら、藤の花を入れていきます。

藤の花はもっと色をちりばめたほうが見栄えはしますが、
この絵はやり過ぎないシンプルでありたいので、
青紫を房状に塗ったのみです。



こうして、絵が一つ出来るのだけど、
しかしこれから始める人にとっては本格的に習ったほうが良いような気もするし、
かといって無理をして高いものを買わずに手頃な品でリラックスして描くのも良い気がするし。


出来上がった、と本人が笑った時、
それは何でどう描かれていても、良い絵なのだと私は思うなぁ。





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小さな絵本・11日目

.14 2010 未分類 comment(0) trackback(-)
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無脊椎動物は一部、超がつくほど苦手な生物がいるので
そそくさと終わらせてしまった。

それだけ(超苦手)は伏字付きの名前でも影でも、とにかく全部無理。
冗談でも絶対通じないのだ。(だから冗談でもこれの話題はいけません)
だのに、相当メジャーなもので確実に図鑑に載っている。

ページをめくるだけで恐怖と戦う、冷や汗の時間だった。

暑いさなかに冷や汗なんて、嬉しくもなんともない。
エビとなんとかジャコウガイ(この貝のページにとんでもないものがいたので名前を見れなかった)
のページを最後に、ほんのちょっとしか描かずに終了。

心臓に悪いったらありゃしない。




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やっぱりトンボとか




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蜂なんていいなぁ、としみじみ感じ入る。




今日はあまりテンポ良く描けなかった。
多分、世界一苦手なものをうっかり見ちゃったからだ。

同じ無脊椎動物でも、お馴染みの昆虫やヒトデ等はかわいいと感じるのに
私の幾つかの無理要素がなぜかぴったり集まった相手は、100%嫌い。

私がよく人に言っていた言葉に、
『人間、絶対嫌いなものが1つか2つかはあって当然だと思う』
というのがあった。


これはまさに自分のためにある言葉だ・・・

無理して好きになれないものは仕方ありません。



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明日は心安らぐ植物。

ああ、楽しみ。

小さな絵本・10日目

.13 2010 未分類 comment(2) trackback(-)
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明日からは無脊椎動物。 今日はカマキリとシジミ蝶を描いて終了。

カマキリを描いて思ったけれど、カマキリってすぐ形になる。
それを言ったら蝶々もクワガタもそうだろうが、とにかく今日はカマキリに感動。


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はじめはこんな感じ。
もうこれで充分カマキリに近いよ~って一人で感動していた。
でもそれは描こうとしている最中の人間だから、そう思えるだけだろうが。

基本の体の雰囲気を、緑色で塗っただけで気分はカマキリ。



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さっきの基本に足と顔を描き足す。

大きな目と自慢の鎌とお腹はまだだけど、すでに完成に足掛け。




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緑の草色から、枯れた草の色へ。
鎌の部分とお腹、背中の羽に枯れ草色を塗る。 あとあの印象的な目を塗る。
長い糸のような触角も伸ばしたら、もうカマキリの登場である。

カマキリはかっこいいなぁと昔から思っていたので、
つい描いた順序を載せてしまったが、載せるほどもないくらい早く終わってしまった・・・


でもカマキリに感動した今日の1コマでした。




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今日は魚類中心に描いていた。

これはハイギョ。 書いて字のごとく、肺呼吸できる魚。
エラ呼吸も出来るのに肺でも呼吸するなんて、惚れ惚れする。

肉鰭類はシーラカンスもいるから、どちらにしようか迷ったが、
今回はハイギョにした。

シーランカンスは2~3年前に描いたことがあった。


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クリックしてもあまり大きくないけれど↑、
シーラカンスもよくよく見ていると古代の魚という香りがふんぷんと漂う。



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マンボウも風変わりな体をしている魚。

魚に限らないかもしれないが、海で暮らす生き物というのは時々特別な気がする。
マンボウ、ゆらゆらして大洋を漂いながらクラゲを食べるよう。

そういえば、私が子供の頃、浜に打ちあがったマンボウを見たことがあった。
学校帰りに浜辺付近の子達が教えてくれて見に行った。
マンボウは思っているよりずっとずっと大きくて、
そんなに大きな生き物が目の前で砂にまみれて死んでいるのが不思議な感じがした。

こんなに大きくても死んじゃうのか、と呆然としながら見つめていた。
何となく、周りの子が興味津々に触っている中、私は触れないでいたのを覚えている。



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マンボウとの初体面が『死』であったのがショックだったわりには。

このタラという魚は大好物でもぐもぐ食べていた思い出も・・・

白身のお魚は何だか高級な感じがした当時。
多分タラの真っ白さがそう思わせたのだろう。
バターで焼いてもらったタラの夕食が大好きだった。

タラ、ごめん。 味しか印象に無い。




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マッドスキッパーというと、ちょっと奇妙な名前に思うが。
トビハゼというのは丁度良い聞き心地。 ハゼが飛んでいるのだから、トビハゼ。
この上なく伝わりやすい名前だ。
マッドに比べれば。

かわいい顔しているなぁ、と思って描いている最中、こっちまでニコニコしてしまう。
ハイギョじゃないが、よくまぁ陸へ上がりたがるものだと感心する。

こうして魚は両生類に進化したんだな、と遠い昔を想像した。




今日も命の危険を感じるくらいの温度だった。
汗で目がかすんでしまう。 机に突いたひじが時折ずるっと滑っていた。

明日は少しでも涼しくなってもらいたい。
日が沈むと空に三日月が見える。 まだ弓のようではない三日月。
三日月の向こう側から夜風がひんやり吹いてくる今。

この涼しさが早く昼間にも訪れてほしい。

もう、毎日こんなこと書いているなぁ・・・






小さな絵本・9日目

.12 2010 未分類 comment(2) trackback(-)
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夏が終わるまであとどのくらいあるのだろう。

今日は非常に気温の高い日だった。
外気温は真夏日ではないかもしれないが、部屋は真夏日。
風向きが素通り方向だったようで、蒸し暑くて苦しい日中。

絵を描くための準備も、絵の具を作るのも、塗るのも、
何もかもが「あ、しまった」の連続だった。
暑さは脳の働きを麻痺させる。 

本当に秋に思いを馳せる。





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爬虫類の続きはカメとヘビとワニ。

でもワニだけは多めに見てもかなり残念な状態になってしまった。
カメもヘビも大差はないが、しかしワニは見せられない出来に終わった。

ケープコブラという明るい色のコブラ。
このヘビに思い入れがあるとすると、小学校5年生の初めての縫い物の授業。
エプロンを作る家庭科の授業で、15×20cmくらいのポケットに刺繍をする課題が出た。

私はこのコブラの色がとても気に入っていて、今日絵に描いたままのコブラをせっせと刺繍した。
出来上がってとても満足したのを覚えている。
でも翌日、刺繍を見た先生は言葉が出てこなかったみたいで半開きの口で黙っていた。

なぜ先生が言葉を失ったのか、今でこそ分かるが、当時は褒めてもらえなくてがっかりした。


そんな思い出のコブラだ。




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サンショウウオ。
両生類はカエルとイモリとサンショウウオくらいしかメジャーなのが思いつかない。

それでサンショウウオに。
イモリでも良かったのだろうが、多分きちんと区別が出来るように描かないと分からない。
どちらかというとサンショウウオのほうが描きやすかった。


サンショウウオって綺麗な色をしている。
黒い体にお腹が鮮やか。
お洒落なんだ。





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カエルで描きたかったのはこういった毒持ちのカエル。

黄色や赤や青、緑色の黒いマダラ、はっきりした強い色がびっくりするほど美しい。
イチゴヤドクガエル、というカエルは体は赤くて足が青。
ジーンズを履いているみたいだから、ブルージーンとも呼ばれるとある(Wikipedia)


本当になんてすごい体をしているんだろう。
小さくて目も真っ黒でかわいいのに、猛毒の危険生物。
あらかじめ周囲に向かって「派手だから分かるでしょう?」とばかりに警告している。

触りたくはないが、出来れば近くで見てみたい。

両生類は派手な色が多いような気もする。
形はそんなに多くないけど、水と陸の合間に生きる素晴らしい生命だと思う。




暑さでやられて、ここのところ食欲が落ちている。
良いのか悪いのか分からないが、お酒も毎晩飲んでいた量が半分以下になってしまった。

明日からは魚。 魚類を幾つか描いて、次の無脊椎動物に入りたい。

魚を描いている間だけでも涼しくなりますように。
明日はまた暑いようだから。


そういえば、ちっとも夕立が来ないなぁ。

去年までは8月過ぎる頃から夕立が降ってくれたのに。






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小さな絵本・8日目

.10 2010 未分類 comment(0) trackback(-)
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4日も間が空いてしまった、小さな絵。

植物→無脊椎動物→魚類→爬虫類→鳥類→哺乳類ときて、ノート半分。
鳥類を少し加えて爬虫類に戻ってきたページは70ページ目。
こんな簡素な絵でも70枚もあると、ちょっと見応えがある。

今日は日が暮れて暗くなってきたので、また後日に爬虫類をもう2~4ページ描くつもり。

それが終わると今度は魚類だ。
前半の魚類はちょっとしか描いていないから頑張りたい。





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鳥は8種加えた。 その一つがツノメドリ。
私は小学生の時、この鳥をエトピリカと覚えていたのだが。
何かの番組でそう呼んでいたので、種類名だと思っていたのだ。

図鑑にはツノメドリ。 大きくなってからそのことを調べてやっと分かった、エトピリカ。
調べたというのもPCなんて持っていない頃だから本で探して知ったのが、
これはアイヌの言葉だということだった。

エトピリカはとってもいい名前で、なるほど、と思った。
この鳥のくちばしは美しいもの。

でもエトピリカとツノメドリはちょっとだけ違うみたいだけど。





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アオサギも好きな鳥。

馴染みのある鳥で、水辺のあるどこかしらで見かける気がする。
大きな鳥だから目立つけれど、色合いは品の良いしっとりした灰色と白と黒。

春だったか、大きなサギが水辺に立ったまま死んでいた、という話を思い出した。
春だというのに寒い朝だったからか、食べるものが得られなかったからか。

しかし、意識の消える立ちつくした中、何を思って死んでいったのだろう。




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オオハシ。本当に大きなくちばし。

だって体と同じくらいあるんだから。
こんなに大きくていろいろ大丈夫なんだろうか、なんて、余計なことを・・・
これで良かったから、こういう進化を遂げているっていうのに。

でも一度見たら忘れない、印象的な姿。
南国=オオハシ。 という式も成り立つ。
前にもこんなこと書いたような・・・ 南国=・・・だったかしら。
椰子の木も確か、南のイメージだなぁ。





明日はまた描けない日かもしれない。

理由は会いに行く人がいてそのため。

相手はもうすぐ70歳になる男性で、以前会うと約束をしていた人。
(この時の記事のリンクを貼ろうかと思ったけど、すごく長い記事だったのでやめておく。)
実に前向きな生き方をしている非常に貴重なタイプの人間、Sさん。

このおじいさんに、少し人生の話を聞かせてもらいに行く。




動物の絵を描いていると、人間に生まれたことも受け入れるひと時があるのだが、
普段は人間嫌いにすぐ陥る私(まず自分が嫌い)。

このノートに人を入れようかどうしようか考えていたのだが、
同じ生命を持って生きているというのは例外ではないので加えることにした。

ただ、肌の色を入れるのは私なりに考えてやめておいた。
その代わり、家族で。




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小さな絵本・7日目

.05 2010 未分類 comment(0) trackback(-)
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哺乳類のページが終了した。


次からまた、種を逆戻りしていくことに決めた。

はじめのほうで描いた生物はページ数が少ないから、
残りのページをあてるほうがいいと思った。




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スカンクは昔何処かで見たことがあるような。
見たとしたら動物園だと思うけど、どこの動物園だったかまで思い出せない。

スカンクは毛が長くて、かわいい顔をしているな、と描きながら思っていた。

逆立ちされたらきっと逃げることになるのは分かっていても、
できれば近くで見れる機会がほしい。




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タイリクオオカミはいろんな毛色がある。

でもイメージでは寒色系の冬の中。
白くもなく黒くもなく、茶色い毛でもなく、青灰色の影。



絵本と呼んだところでこれはノートだから、
絵は全て直接絵の具を塗って描くことにしてる。

おかげで中心が定まっていなかったり、後ちょっとではみ出しそうになったり
そんな落ち着きのない絵が揺れているけど。

下描きを描いてからの絵はノートに似合わないと思っているから
これはこれでいい気がする。
素朴に、素朴に。


生き物を描いている時はなんだかいつも心が静かになる。

こういう形でも生き物は救ってくれているのだろうか。







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