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もの作り

.06 2012 革の部屋 Leather comment(2) trackback(-)
j-beans3harp1f.jpg





何時間も作っていると、目の前にあるものを見ていない時間がある。

ふと気がついた時にそれを知るのだけど、
手の中にある制作中の何かではなく、頭のどこかで見ている何かを見つめ続けている。
そういう感覚に気がつく時がある。





何を作っていてもそう、というのでもなく、これは想像作品の時に多い。


実用的な制作は、作業一つ一つに気を配ってきちんと見ていないとできない私なので、
『作っている』意識がほとんど占めていると思う。
ちゃんと革を切り出すとか、きちんと目を打つとか、きれいに縫うとか、
そういうことをいつでも気にしていないと実用ものはすぐ失敗してしまうからだ。

私は昔から、練習すれば上達する、という部類には縁遠い能力の持ち主らしい。
世の中、練習しても天性の不器用さが勝って、特に上達しない人もいるものなのだ。



話を戻す。
 
想像作品の制作の時は、きちんと作る意識というのか、
ああしなきゃこうしなきゃ・・が少なくなる。
飛び飛びで注意して作業する場面は勿論あるけれど、大方何かを勝手に作っている感じだ。

どこかで分かっているような、ちょっと妙な感覚で進んでいく。

だから制作中は、目が4つあるような気分になる。
二つは手元を見ている目で、もう二つの目は頭の中を見ている気がする。


頭の中の何かを感じながら、手元が動いていく。
粗を言えば、作り自体はそこまで丁寧じゃないことになる。
丁寧にしたいけれど、それを意識すると頭に立ち込める煙の姿が見えなくなるから出来ない。


目くるめく煙の世界は、始まりを想像することは出来ても、
立ち上り始めたらどんどん増えていく。
広がる想像を止めることも操ることも出来ない、そういう場所で、
対象を見失わないようについていかないと作れなくなってしまう。

頭の中で見えているものを手に乗せたいと思うなら、
少しの時間を制作という作業に預けて、途中つまづいても転んでも追いかけ続けることになる。


私は一つにつき、一つしか選べないのだ。
頭の中では「見続ける」ことだけを。 動いている手は「形にしていく」だけを。





毎度、出来上がった想像作品を眺める段階になると、
『ここ縫えばよかったかな』とか『もうちょっとこっちだったのか』とか、
ちょっとずつ反省箇所が気になる。

でもそういう時は、机の真ん中にそっと置いてやると、
粗探しの小さな反省箇所はどうでもよいこととしてあっという間に消えていく。


そして、『私はこれが見たかったんだ』と嬉しさが湧き上がってくるのだ。


反省点を振り返るのは、少々なら必要だろうけれど、
細部が云たらとこだわるようなものじゃない。 
そんなことより、何がしたかったのか、表れたかどうかが本当に大切なことだと思う。

今はそう思える。




・・・結構前の話だが、ジャックの豆を作ったことがある。

どうしてかここ最近になって、豆が伸びた先にあった宝が気になりだした。
革で作ったハープは柔らかいから動きやすいだろう。
勝手に歌って勝手に奏でてくれる楽器なのだ。体がこわばっていないほうがいい。


誰かが触るまで、ハープは目覚めない。
目が覚めるとき、弦はぴんと張って、鳥は首を伸ばして歌い始めるのだ。






どんなに小さなものであっても、ほんのわずかな欠片のような存在であっても、
それを表せることを心から感謝している。

見たいものを見える場所に連れて来れることに、いつも本当に嬉しく思う。







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海の向こう

.30 2012 革の部屋 Leather comment(0) trackback(-)
ship-2b.jpg





昨年はよく海へ行った。
私は泳がない(泳げないともいう)ので、海へ行くと岩場や砂浜から海を見ることになる。
春夏秋冬、いつでもだ。


太平洋側の海を見ていると、世界地図が頭の中で広げられてすごく遠くを見ている気持ちになる。
想いを馳せている時は広大でも、私の視力に映る範囲は実際、残念なくらい狭い。
でもそれでいい。そうじゃなきゃ、船に乗って海を渡ったときに感動しないだろう。
だから、千里眼じゃなくて良かった、と変に納得する。




ずっと向こうに何があるんだろう。
いつもそう思っている。子供の時も、浜辺で遊んでいる時は海をじっと見て考えた。



小学生の頃、親父のカセットテープにあった柳ジョージの歌の中で、
『アフリカの夢』という一曲が好きだった。
何度も繰り返しかけては、意味も分からず歌っていた。


歌詞の内容は、大人になってから読んでみると悲しいくらい気の毒な歌詞で、
なぜ子供心にこの歌が好きになったのか・・と首をかしげるものだった。
でも今でも少し覚えている『南回りの船で・・・』という出だしは、
どんな時でも必ず航海への夢浪漫をかき立てるのだ。




地図に載っている国の海岸線をそのまま見下ろすわけじゃなくて、
海岸線の緑色や黒い岩礁を一筋の線として見つける時、それはどんな感じなんだろう。
段々近づいてくる細かった線が、徐々に複雑な起伏をもった大地に見え始めたら、
そこからどんな続きがあるのか、誰がいるのか、何が待っているのかと想像するのかも。


だだっ広い海原を、何も見えないまま進む時はどうなんだろう。
どこへ向かっているのかが分かるのは、天気や時刻や海の顔色をよく知っている人だけ。
それが分からないまま船に乗っている人は、何を感じるんだろう。
何日も何週間も何ヶ月も、船に揺られていたら。 どんなふうに心は変化していくんだろう。


たまに釣りに行くけれど、それはおかずが無い時に限っているもの。
これが船上だったら、四六時中、魚介に頼ることになるのか。
大きな船なら船倉に食料を積めるけど、そんなに大きくない船なら食料維持のために釣りもするのか。
刺身が好きでよかった、と日本人でいることをしみじみ有難く思ったりする。





いろんなことを考えて、いろんなものを想像して重ねながら、
貝殻の砂浜と切り上がった岩場の温度を感じて海を見続ける。

蒸された強い磯の匂いが、風に乗ってしょっちゅう駆け巡っている中、
陸地の端っこに腰掛けて何時間もボーっとしている時間は瞬く間に過ぎる。
金色の朝が白金の昼に、白金の昼が橙色の夕方に、夕方なら即、藍色の夜空に包まれていく。




たまに思い出すのだけど、そういえば会いたい人がいる。

海のずーっとずーっと向こう側の大陸に、大きな湾から上がった先に、
会ってみたい人がいる。


いつか会う日は来るんだろうか、来なくてもいいけれど、
もし船で行けたらそれだけでお土産話になるのかな、とか・・・ 思いながら、
海から帰る。



今年もたくさん、海へ行こう。
灯台に登って、遠くを見て、磯を歩き回って、砂浜に座って
海の側であれこれ想いを馳せていたいと思う。











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お年玉の宝箱

.15 2012 革の部屋 Leather comment(8) trackback(-)
s-bag2.jpg




三十後半にもなってお年玉も何もないが。
あげる側に立っている年齢なのだが、実は有難いことに私はお年玉をもらう。



私の尊敬する職人さんは、毎年『お年玉』と呼んで、端革を送ってくれる。
この時期、1月早々のため、『初・端革』。


初・端革の到来は、私にとって宝が宅急便でやってくる感覚だ。
白鳥が飛来地に群れをなしてやって来るが如く、だ。
優雅な白い羽を広げて舞い降りる、毎冬の感動的な湖畔の一場面が、
私にとっては宅急便屋さんが息切れしながら巨大な箱を持ってくる場面と重なる。

・・・目出度い限りである。 宝箱であり、お年玉であり。


その名の通り、膨大な量の端革が届く。一度開けたら閉まらないほど詰まっている。
今年は11日にやってきた、宝箱。
これまで見たうちのどれよりも大きな箱に入って・・



大袈裟に聞こえるかもしれないが、その日は歓喜というか、小躍りに近い状態になるもので。
この日の後はしばらく夢見心地で過ごせるほどの影響力だ。
一種のお祭りの期間に似たような、端革週間となる。

普段は異様に渋るお金の出費もこの時は全く気にしない。
これまでの収納では間に合わないと分かるや否や、ホームセンターに収納ケースを買いに行く。

種類別に分けてしまっておけるように、幾つものケースを用意した。
牛・鹿・豚・馬・羊・山羊その他。
形で大きいもの、小さいもの、長さのあるもの、シュリンク、オイルドレザー、他。

それぞれが居心地よくまとまるように分類したため、一時的に革をまぶしたような部屋になる。


分けられた端革をケースに全部入れ終わると、今度はケースを並べた棚を見ていたくなる。
半透明のケースに収まった無数の端革を見ながら、あれこれ考えふけって時間が過ぎるのだ。



そんなこんなで一日が過ぎ、二日目が過ぎ、数日が瞬く間に過ぎていく。
思いついたことを片っ端から書いていくノートとペンを側に置いて、
新しく加わった革を眺めつつ、引っ張り出しては見つめつつ。
傍から見たら何をしているのだか分からないような姿だろう、とふと思う時がある。


でも当人は、宝の使い道を模索して、想像の世界に浸りっきりで時間が流れている。





嗚呼、今年は面白そうだ。

去年いろいろ覚えたことを試そう。
一昨年見つけてきた、自然がくれた贈り物を使ってみよう。
それより以前、力不足で出来なかった制作を形にしよう。


お年玉の宝箱が、今年生まれてくるものに大きく幅を持たせてくれた。



是非、愉しんで作ろう。


見たかったものを、作ってみたかったものを、使ってみたかったものを、
この手に触れたかったものを。







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物語の皆に

.12 2011 革の部屋 Leather comment(0) trackback(-)
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今年は数えるくらいしか作らなかった、『お話の中のもの』。

改めて写真群を眺めていると、ちょっと驚く。
これしか作っていなかったっけ?と、なる。

思い出してみると・・・ いや、思い出せない。だから、やっぱり作っていないんだ。


こんな少なかったっけ~?と認めたくないまま、
なぜか反省めいたものを心にちくちく感じて写真を見つめている。

今年は実用的なものを多く作ろうと思って動いていたのは確かだけど、
・・・分かっていたはずなんだけど、
何となく後ろめたい。 何でだか、妙な後ろめたさがある。


来年は、今年学んだことを自分の見たいものへの力に変えていこう。


そう思うことで、ちょっと言い逃れをしているようなものの、
来年実現すればそれで良い、と心に言い聞かせている・・・



それにしても日常では四六時中、思考は別の世界に浸かっているのだが。







otter1a.jpg



最初の写真の『ヒナ』は、今年のイースター前に作っていた気がする。
写真を載せたわりには、特に「話」は関係なかったかも・・・

そうだ。少し思い出した。 卵の殻を見て、ヒヨコ作ろう、と思ったのだ。
う~ん、話しどころではなかった。 思いつきか。



でも上のカワウソは、ちゃんと話がある。

ヴァイナミョイネンという魔法使いの話を読んだのだ。
本はエッダだったかなぁ。 
この時、落ち込んでいて、本棚にあった本を何冊か適当に選んで読んだ中にあった。

有名な魔法使いであり、冒険者である、ヴァイナミョイネン。
彼が敵に捕まったときに、喜ぶ敵を尻目にカワウソに姿を変えて逃げてしまったという話。


そんな、ピンチをものともしない魔法使いの話を読んで、私は少し元気になれた。
それで魔法使いのカワウソを見たくて作ったのだ。
 





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ただの葉っぱ?、という人もいるだろう。
そして、なんの努力もしなくて良さそうな出来・・・とも思うかもしれない。

しかしこれにもちゃんとあるのだ、大事なエピソードが。


ギリシャ神話はいくつも好きな話があるのだが、
その一つにピレモンとバウキスという名の老夫婦の話がある。

とても親切な心の夫婦で、ゼウスと息子ヘルメスがやつした旅人をもてなす。
他の村人には冷たくあしらわれたので、老夫婦の歓待が嬉しくて、
ゼウスとヘルメスは彼らを助けて、村を水に沈めるのだ(そこまでしなくても)。

その後、老夫婦はゼウスの神殿の番人になる。
何か願いを叶えてあげよう、という神々の申し出に
番人になることと、『この世を去るときは二人一緒にお願いします』ことを
願った夫婦は、最期の朝、樫の木と菩提樹の木に変わる。


その樫と菩提樹の葉っぱ・・・ を作った。

作りがどうとか、そこは触れてくれるな。
こうした雰囲気のほうが良い場合もある。







lago2a.jpg




黒い牛の話を知っている人もいるだろう。

実はこの黒い牛の話は、ヨーロッパ中に、名を変え立場を変え、残っている。
始まり方や物語の進み方は異なっても、要所は同じ。

3人姉妹が、順々に結婚を申し込まれるのが始まり。
上の二人は王子と結婚したのに、なぜか末娘を迎えに来たのは黒い雄牛だった。
うわっ、と思うものの、牛と結婚するのが未来と定まっていて、
渋々彼女は牛の背に乗って長い旅に出るのだ。

不思議な黒い牛は、魔法にかけられた王子だったのだが、
娘が約束を破ってしまって、後一歩で人間に戻るところを別れて離れてしまう。

娘はさらなる旅路を決心して、夫なる黒い雄牛を探し続けるという話。


もしかしたら、この黒い雄牛はいたのかもしれない、と思った。

そして本当に欧州を駆け抜ける旅をしたのかもしれない。
あちらこちらで、草原や谷間を駆け急ぐ、逞しい黒い雄牛を見かけた人たちが、
その背中にまたがったうら若い女性との魔法がかった恋物語を紡ぎあげたのだろうか。


ああ、私も見たかった・・・ と、思ったら、つい作りたくて作った黒い牛。






こんな具合で、お話の世界は実に胸躍る浪漫と楽しさに満ちている。

今年、こうしたお話の中のものを表現する時間が少なく終わるのだが、
来年はもっと、想像している様々な姿を表していきたいと強く思う。


物語から飛び出してきた小さな皆に、いつでも会えるようにしたい。 


いつでも、側にいたいなぁ。

そうしよう。







door1b.jpg



そういえば、どこでもドアも作っていた・・・









冬の始まり

.04 2011 革の部屋 Leather comment(0) trackback(-)
glove1.jpg




今日は暖かかった。 北側の窓を開けても風が冷たくなかった。

でも数日前の寒さは、ようやく冬突入、といった感じ。
雨も降っていたからかもしれないけど、ストーブを消すに消せない冷え方をしていた。
今日が暖かくても、これからはどんどん冬味になっていくのだろう。

考えてみれば12月なのだ。 年末だ。
寒くて当然の季節に、毎日寒さ漬けじゃない地域に住んでいるのは救われている。




私が使っている端革の大きさは、1デシに満たないものから、
じぐざくな形で4デシくらいになるものもある。
トータルとしてみれば、たまに10デシ近くある場合もあるが、
それはあくまでトータルなので、たとえば長い紐一本で繋がってるとか、
端の波うちがある部分が山脈のように続いているとか、そういう感じだ。
職人さんは、出来るだけ革を目一杯大切に使う人だから、
市販されている端革のような大きさのものはまず出ないのだ。


でも時々、別々に切れた状態で同じ革が、同じような大きさで入っていることも。

そういう宝物のような大きさの革は、大抵温存されることになる。
使いたい気持ちが逸るけど、一番いい使い道を思いつくまで『大きめの革』用袋に
しまいこまれて、頭から離れない魅力の存在になるのだ。


今日、その貴重な大き目の革の一つを使って、
寒さの増してくるこれからを思いながら、手袋を作った。

去年も似たような感じのを作っているけど、
今回は親指くらいまでなら作れる余りがあったので、
(先端は間に合わなかったけど)親指部分付。

この革をほとんど余らすことなく使えたので、一番いい使い道だったと思う。



寒くなってくる年末年始。
関東は特にかも知れない、と毎年感じるけど、年明けから冷え込んでくる気がする。

手袋、家でも使いかねない。


冬が加速する12月。

皆さん、お体を大事に。
冷たい空気に気をつけて、どうぞ温かくしてお過ごしください。








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小さな世界

.26 2011 革の部屋 Leather comment(4) trackback(-)
sword1




来月の6日から、藤沢市の長後で「クリスマスの贈り物展」というのがある。
DMが来ているからそれを載せれば良かったのだが、
今日は写真を撮り忘れているので、後日にでも載せることに。



紛らわしいが、最初の剣の写真は展示とは関係ない。
ただ思い出したから載せただけだ。 最近は思いつきが多い上に物忘れも多い。

困ったものだ。 この言葉もしょっちゅう言っている気がする・・・




話を戻す。 あの小さな剣は、海賊の本を読んでいて作りたくなって作った。


衝動的に作り出すというのは、実に心に良い。
夢中度が違う。 計画的に実行する時よりも、もっと面白い。と私は思う。
急に作りたくなって、のめり込むものだから、
頭の中でそのものに対する想像がぼんぼん湧いて、映画でも観ているようなのだ。

次々に煙の中から現れる、古風な海賊の姿、大海原、船上の歌、激しい波、霞む孤島、
静かな砂浜や、鳥の群れや、頭上をおおう鬱蒼とした深い森、黒い岩場、洞窟・・・

たった一本の小さな剣が見せ続けてくれる、
制限時間の来ない即興の映画館のような、その世界。



例えば、その世界の中では私は、スペインの領土になっている島の住人。
領土になってからは、それまでの仕事が利かなくて、細々と物を作って生活していて・・

昼下がりの人気ない食事屋の片隅に座って、私はせっせと作っているんだ。
そのへんに捨てられてるものを何でも入れたぼろい袋から材料を取り出して、
そこでも一人の世界にふけってる。

食事屋の昼過ぎは、掃除や買出しでドアを開け放していて、店の人は客を気にしない。
小銭稼ぎのようにしか働けない、私の土産作りに場所を貸してくれる。
「昼食を食べに来ると、いつも何かテーブルで作り出す人」というふうに見ていて、
作ったものの出来がいいと店の壁にくっつけてくれる。
無害で孤独な世捨て人に、ささやかな応援をしてくれているのだ。

・・・という感じ。 

海賊は毎日どこかしらで見ているが、自分は無関係。
ただ、海賊の闊歩する船着場の近くの町で生活しているだけ。
私はあくまで脇役なのだ。


冷めた人が聞いたら、『この人は何て暗いんだ』くらいにしか思われないだろうが、
私は子供の頃からこんな感じなので、この『暗さ』で『明るい楽しさ』を得ている。







sword1a






木製の剣は、バレッタkamikazari3b.jpgを作ったときのマホガニーの余り。
金属の部分は、銅板作家さんに分けてもらった銅の薄い板。

鞘はもちろん革だ。 強く、堅牢で、丈夫このうえない、油を染ませた革。
そうだ、握りの部分は0.2mmに漉いた革を巻いておいた。

これを使う人は誰なんだろう。 
革の握りを気に入ってくれると良いけど。



最初は上手く作れなくて、一本失敗したけれど、
もう一回作ってみたら上手く剣の形になってくれて嬉しかった。



想像作品は『自分だけの満足』と、あまり好ましくないように言われるけれど、
よくよく考えてみたら、自分だけの満足を自分の手で作っているのは最高だ。
それに、人に見せると自分だけの満足だったはずが、
他の人の笑顔も引き出せるんだから、あながち『自己満足のみ』とも呼べない。







sausage1a.jpg



剣はカトラス。 無法者が肩帯から下げていた、もとは屠蓄用の刃物だ。

なんて、そんなことを思ったら、つい腸詰も見たくなった。
腸詰、きっと昔の海賊もがつがつと食べただろう。




いつか想像作品に、一個ずつ、制作中見えていた世界のことを書いた紙を添えて、
小さな展示が出来たら良いなぁ。

究極の自己満足の具現かもしれないけど、
何人かの変わり者好きが愉しんで見てくれるかもしれない。







秋の空・渡り鳥の羽

.01 2011 革の部屋 Leather comment(0) trackback(-)
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晴れ始めると、ずっと晴れている気がする。
秋なのに、涼しいのは北側の部屋のみ。 
光が入ってくる部屋は汗ばむ気温になる日中。
関東の海沿いはみんなこんな感じの『秋模様』なんだろうか。
半袖の人もまだ多い、そんなのんびりした秋である。

それでもひゅーっと風が吹けば、気持ち良い涼しさ。
渡り鳥は少しずつ多くなって来ているのか、空を渡る鳥の影が増えているし、
私のように鈍感な人間にはピンと来ないだけで、
季節を告げる時計は古今問わず、正確に動き続けているのだろう。




広い空を横断する鳥の群れ。

鳥たちは一体どうやって旅立ちの時を知るんだろう、と子供の頃から不思議だった。
人間にははっきり理由が分からないまま、鳥は毎年、時期になると飛び立つ。
行く時も、帰る時も、誰かの時計が鳴った朝に空を飛び続ける日々が幕開けする。

どっちが帰るところで、どっちが行く場所なのかなんて、
鳥にはどうでもいいことなんだろう。
体一つで『現時点』を生きている野生だから、常にその時を感じているのか。




空から落ちてきた鳥の羽、一枚。

広い空を端から端へ、横切っていく鳥の群れを見送っていた。

数え切れない回数を羽ばたかせた腕から抜けた、ほんの一枚の小さな羽。
拾って、これをどうしようかとちょっと考えて、
思うところあって、ブレスレットに使った。



行く先に無事着きますように。







来月に向けて

.16 2011 革の部屋 Leather comment(4) trackback(-)
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梅雨の頃に展示をした藤沢のギャラリー「FAVORI」。

来月11月の18日から、また展示に参加させてもらえることになった。
メインはアクセサリーなのだけど、今度もカバンや小物など、いろいろある様子。

私はこの前と同じように、とにかく私らしく作ったものを展示させて頂く。


アクセサリー、私が作るとこうなる↑。 これはバレッタ。

決してかわいくは出来ない。 
私にはどうも、かわいいものを作るという機能が備わっていないらしい。
巷で見かける革のアクセサリーにあるような形は、私には興味がなくて手が出ない。 
それで自分なりに作ってみようとすると、・・・こう、何と言うか。ゴツゴツしている気がする。
これまでもそうだったけれど、おしゃれな感じからは程遠いのが私の一貫性か・・・


でも個人的には、こんな風合いが大好き。

ぶ厚く、柔らかくて、オイルがたくさん染みていて、深い色合いをしている革のバレッタ。
裏は黒い革と深い緑色の革をそれぞれ当ててある。
木の棒はマホガニー。 ほんのりと良い匂いがする。


写真は撮っていないけれど、他にもベルト・ブレスレットや焼印のペンダントなどがある。
皆、何となく古い時代からやってきたような雰囲気がある。
そうした感じのアクセサリー群をFAVORIで見て頂こうと、ここのところ作り続けている。

あちらからDMが到着したら、またここに載せるつもり。


それまでせっせと頑張ります。
良いものをお見せできるように。






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(↑牛シュリンクのペンケース 野性味溢れる逞しい革で良いものができました)



長月夜の後半

.22 2011 革の部屋 Leather comment(0) trackback(-)
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昨晩訪れた台風に夏も持っていかれたのか、今日は午後から涼しくなっている。
午前中は洗われた空と強い日差しで、まだ残暑かとがっかりしたのだが。

午後もおやつ時間を過ぎる頃、徐々に雲が張り始めて気温が下がっている。
このまま気温が低くなってくれたらいいな、と思いながら空を見る。



昨日作ったファースト・シューズ。
とっても小さな靴だ。実用の中でも一番小さい靴なのかなぁ。

理由あって大きい革が手に入ったので、それで作ることが出来た。
でも端革で作っている時間が長いため、やっぱり端っこから使うクセが抜けない。
そんなに遠慮しなくてもいい状況に来ても、それでも何だか少しずつ使おうとしてしまう。


この革はきれいなピーナッツバター色なので、
特に何か縫い付ける気にもなれず、質素にタッセルと小さな青いホワイトハーツを付けただけ。
内底に山羊の厚めの革を敷いたので、その色と合わせた茶色の糸でかがった。
少し色の差が出ると、それだけでもちょっと動きが出て良いな、と思った。






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この前、お財布を作った。 長財布で、黒い革を使った。
このお財布、出来た次の日に旅立つことになった。
とても気に入ってくれた人に受け取ってもらえると、ちゃんと作れてよかったと嬉しくなる。





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そんなにポケット尽くしなわけじゃないけれど、
結構余裕を持たせて作った分、収納力はそこそこありそう。

私は使ってないから正確にはわからないけれど、持ち主に次会うときに聞いてみよう。





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もう一つ、おまけで作れた財布。

これはちょっと難があり。 だから誰かに渡すこともない。
長財布、の部類には入るけれど、必要最低限といったところか。





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財布に使うのは初めてのファスナーが付いたこのお財布。ここは小銭用。

手前がお札を入れるところ・真ん中が小銭いれ。
長財布の形はしているけれど、革がそれほど使えなかったのでギリギリお札メインの形。

小銭入れやカードポケットは一応付けておいた、という、
少しサブ的な存在のお財布になった。






今年は実用的なものや、実際に持ち歩けたり使えるものを作っている回数が多い。


去年はもっと面白い感じがした。
動物や想像のものを作っていることが多かった気がする。

でも生き物を作るのは今年はあまり乗り気じゃなく、何となく遠のいている。


今年は動物の代わりに『使えるもの』を作っている。
使えるものや、付けれるもの・持ち歩けるものは、技術的には学習意欲が湧く。
魅力があるかというと、それはそうでもない。
私は溢れるほど見れるものに興味が湧かない性質なのだろう。
ただ、興味が湧こうが湧くまいが、
やっておいたほうがいいことや経験をしないと出来ないことは幾つもあるのが事実だ。

独りで学ぶ以上、学ぶ対象はとても多い。
退屈な作業の繰り返しでも、一見自分に合わない気がすることでも、
教わる相手がいないのだから選り好みが利くかどうかも分からないことは頑張らないと。

そんなふうに思うと、最初から楽しいと思うことより、後から楽しいと感じる制作が増えてくる。



今年はそんな年になっている。





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黄色いレンガの道を歩いていく。

・・・ドロシーの気分。
様々な自分を見つけていく。



秋が来るといいな。


8月後半・写真整理で

.16 2011 革の部屋 Leather comment(0) trackback(-)
mini-note1 (1)




ここのところ、たまり続ける写真を整理している。
アップロードしていないまま保存している写真もあるし、ずらっと表示されるとぐったりする。

だけどファイルが増えてきて管理が行き届かないなんて、
管理している意味がないので頑張って選り分け中。


・・・選別中にふと思ったのだけど、
おかしなもので、しばらく放置しておくと捨て易い対象に変わるのは写真も同じみたい。

撮った当初はどんどん保存しているのに、時間が経ってから見てしまうとためらわずに削除出来る。
そんな感じで、たまり続けた写真をどんどん片付けているのだが・・・


これもまた片付けの副作用で、時々目が留まってしまったものなどに時間が使われる。

大掃除中、アルバムを発見したり、忘れていた『(当時)大切な』箱などを開けた時の状況である。
これが画像整理でも起こるとは。 



で、もう削除しようかな、と思いつつも何となし手から離れていないそれらは、
ちょっと載せてくことに。

載せてしまえば安心してファイルから削除できるというものだ(と思う)。




最初の写真は、見たまま。 小さいノート。最近作った。

豆ノートとは少しずつ違って、大きさは手帳くらいあり、
小さいブックカバーの作りで、別に綴った紙束を収めて使う。

丁度良い切れっ端のヌメを見つけたので、これを表紙に使おう、と思って
豆ノート時には言葉だったところをワイバーンの焼き絵で表紙にした。





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小さいトートバッグ。 ミニチュアと言うほど小さくもないけれど、小さめには違いない。

底は舟型、少し両端をつり上がらせていて、その箇所がマチを作っている。
本体の大きさは、タテ×ヨコそれぞれ10cm未満。

たまたま、黒に近い焦げ茶色の美しいシュリンクを見つけて、
その床面のフサフサ加減やキズの風合いがあまりに魅力的で使いたかったのが最初。
黄色く柔かい革が、一層このシュリンクの風貌を引き立ててくれて良い出来になった。


このミニ・トート。 どう使うかは使い手次第だけど、
インパクトの強いバッグなので見せ方も風変わりなほうが良いかも。







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これは羊のポーチ。 一丁前に使えるサイズは確保してある。

羊毛皮を頂戴する機会があり、その時受け取った羊毛皮は首から背中半分までの大きさだった。
滅多にない大きめの革だったので、大事に使おう、と思っての第一号がポーチ。

毛皮だけだと皮部分が弱いので、内側は補強に薄い牛革を当ててある。
マチ部分は2mm厚の牛革で、開閉はマグネットで行う。
ストラップ部分は両端ナスカンなので、外して『羊』状態で使うことも出来る。


写真では見えないけれど、尻尾のキーホルダーが付いている。





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これは肩当てを作ったときの写真。

肩当て・・・なんだけど、幅がない革だったので、ぎりぎり真ん中でホックを留める形に。
厚さのある、やや柔かい質の牛革を使って作ってあるので、
使用してみるととても有能であることが分かった。 見てくれより本質が勝った例。


バッグのほうは、牛シュリンクとオイルドレザーの大きめの端革で作ってある。

随分前に手元に来た革だったけど、そこそこの大きさがあったため、
何とかして切らずに丸ごと使いたくて、考えを温めてきた革。

今年になるちょっと前、目一杯革を使用する形を選んで、このバッグになった。

中の写真は撮っていないのだけど、中にポケットを作った。
前胴側にべたポケット一つ、背側にタックをとったポケット一つが付いている。

本当に端っこ部分だったので、千切れている部分や伸びがあるのだが、
寄せて引き締めて、補強に革をあてて縫っている。 
使い始めて半年以上たつけれど、どこにも問題は出ていないので上出来である。


余談だが、今春職人さんに見せた時、
『こんな端のところまで使ってくれてありがとう』と
目を細めてもらった、嬉しい感動の思い出付きバッグ。





いろいろと作っているけれど、写真を並べて見ていて妙な実感がある。

一枚の写真に写った、一つの作品の一場面。
目を合わせると、どうやって作ったのか、どうして作ることになったか、
どの作品の写真を見てもそれぞれ思い出せる。

こういうのを想い入れと呼ぶのか。


普段はものすごい勢いで日常の細々したことを忘れるくせに、
端革の皆のことは逐一覚えているなんて、気持ちが入りすぎてるのだろうかとさえ思う。

でも入りすぎているくらいが私には合っているのかもしれない。
そのほうが一生懸命続けられるもの。




度々こうした紹介の仕方をしていこう。

写真整理も兼ねて。







breakfast1b.jpg





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Author:ea
EA/ 絵描き・端革細工作者

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