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世話焼きの、手

.05 2012 一人芝居の部屋 comment(0) trackback(-)
uroborus1a.jpg





ここのところは作ることがままならない。
去年に撮った写真が幾つかあるので、それを載せておく。


作ることがままならない理由は、単に私が疲れているためだ。
寝不足や、他の人と関わる時間を毎日持ったことにある。

全く寝ていないわけでもないし、関わる人たちは親切な人ばかりだけど、
これまで一人分での時間が紡ぐ日々が一変したからなぁ。


早い話が、環境の変化というものだ。
時間が経てば疲れもなくなるかもしれない。
疲れに慣れる時、体の痺れが消えたり、緊張の張り詰めた糸が遊びを持ったり、
とっちらかっている散漫な集中力が一まとめになるだろう。

ついでに7月に入って暑さも加わっているから、
・・・・・・・体の自由が利くようになるのは秋くらいか。

いや、そんなに遅くないで何とかしなきゃな。






nk-braiding2b.jpg



そういえば、小さなものは作ることが増えた。

紐を切り出しておいて、ボーっとしている時に1本つまみあげると
特に考えてなくても勝手に編んだりするからだ。


これは私が、自分の習性に気がついての案だった。


私は一旦手に何かを持つと、なんとなくいつまでもそれで遊ぶところがある。
それはぼけっとしていても、全然関係ないことを考えているとしても、そう。

私の思考と手は直結していないらしい、と思うことがある。
だから何も思いつかなくても、紐なり切れ端なり、手に持っていると
自分でも意識していないうちに何かしら、形を変えさせている。

途中で気がついて、「おお、こんなことに・・・」と、ようやく意識が向く。


なので、瓶に紐を詰めておいて、飾りになるようなものも隣の瓶に入れておけば、
(そして目の高さの棚にそれを置いておくことによって)
私は小さい飾り物などを知らぬ間に(?)作っている。 

同じようなものが多いので、一々ここには載せないが。





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これは今年最初のほうで作ったものだ。

単純で、小さいもので、そして夢のあるものをと思って作った。
一つ一つはこの条件にきちんと収まっている。

絵本のようにしたかった。



写真が暗くて見えにくいのだが、それぞれアクセサリーになっている。
どれかをつければ、それなりの素敵なことが起るように。

まぁでも、豆のツルは身につけるの難しいかも・・・


こうしたものをもっと作りたい、と見るたびに思う。

さすがに単純といえ、こうしたものは意識が伴わないと作りにくいものだから。





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いやしかし、頭や体に疲労が溜まると、いろいろと気がつくことがある。

頭で考えていても手が付いていかないのも、その一つだ。
気持ちはあるのに体が動かない、という、あれだ。
いざ作ろうとしても、机を前に肘を付いて「ふう~~~・・・」ともたれこむ自分が情けない。

年なのか、スタミナが少ないのか、どうも疲れが取れにくい。


でも逆に、こういう場面でもないと分からなかったとも思う。

先述したように、こういう時は頭で考えなくても良いらしい。
手が勝手に好きなことをし始めてくれる。
任せておいたほうがいいのだ、こういう時こそ。


私の手は、私の体の中で一番頼りがいのある働き者だと知った。





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手は実によく動いてくれる。

放っておいても、それなりに作ってくれるのだ。描くのも一緒。
意識が伴わないと細かい進み方などはしないけれど、充分、手作業の有難みに与る。

どこかで見たキッチン用品の魚の絵も、なんとなーく思い浮かべただけで
こうして紙に描いてくれる。 
こんな感じだったな、と思い出し、嬉しいので台所の壁にかけることに決めた。



思いつかなくても、体が意に沿って動けなくても、
その体の、最も意思を表現してくれる『手』の部分が、それを知っていてくれる。

これは意外なことだった。


シャーロック・ホームズのところのハドスンさんみたいだ。
ムーミンのママのようで、ドリトル先生宅のダブダブだ。



台所に連れて行くと(?)、おやつも作ってくれる。




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この手に、これまでどれくらいいろいろと夢見させてもらっただろう。

そんなことを感慨深く思いつつ、両手を見つめる。
手だって疲れているだろうにね。



働き者で、どんな時でも私を安心させてくれる、手の話でした。





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嵐の晩

.19 2012 革の部屋 Leather comment(0) trackback(-)
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6月も後半になり、どんどん夏に近づいていくのが肌で分かる気温になってきた。


今夜は窓の外は暴風雨。
夕方から並足で降り始めた雨は、午後9時現在、とんでもなく力強い。
早足どころか、全速力でムーアを駆ける野生馬のように。



今日のような嵐の晩は、私は何となく気紛れになる。

普段は思わないことを試したくなったり、
特に気にしていなかったことを妙に考えてみたくなったり、
どうでも良いから、と、うっちゃっておいたものに時間を割いたり。

暴風や雷の激しく鳴り響く空は、私にとっては胸が高まるものなのだ。
何だか、自分が見たことも聞いたこともない、
そんなすごい時間に放り込まれるような気がしてしまう。

だからなのか、気持ちにも一かき混ぜ、普段とは別の顔がのぞくのか。




最初の写真は、耳当ての写真。

毛皮は「Castor」と黄ばんだシールが貼ってあった。
外側は牛革。 中には芯を入れておらず、額から回して後頭部で合わせるもの。

こんな季節に耳当て?と思われそうだが、
そうなのだ。 こんな季節なのだが、必要に迫られて。




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これも耳当て。 
こちらは芯があり、さらに芯を取り巻くように分厚く柔らかい牛革を中に挟んである。
表面・内側の革は、最初の耳当てと同じ。

どちらも市販で売られている耳当てを参考に作ったものだ。

私に市販品を買うだけの余裕はない。 必要というだけで何でも買ってはいけない。
自分で使うものなら、極力自作する。・・・これも生活のうちである。


この前の日記で、少々生活が変化したことを書いたのだが、
それに伴って、この耳当ても登場した。 寒さ対策として。
吐く息さえ凍りつく場所に、日々お世話になっているもので・・・ 

耳当ては重宝するのだ。






・・・・・でもここで、この話しを引き続きしようとは思わない。

私がどこでどんな生活になったかなんて、それはどうでもいいこと。
革のものから少し遠ざかった日々を過ごしているものの、
やはりどうしても、何か革で作れそうだと分かると、そそくさ作ってしまうのだ。


出来上がるまでの経緯はさておき、
こんな気紛れな気持ちの嵐の晩だから、
つい、久しぶりに登場した革のものの記録を残しておきたくなってしまった。





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半年

.05 2012 革の部屋 Leather comment(0) trackback(-)
belt-bag1.jpg




今年も半分来た。

5月から、生活の形が少し変化したのもあり、
私は革のものからやや距離を置いた日々を過ごしている。


これもまた、ある意味、貯蓄の時期だと思って、
目に映るもの感じるもの、新たに得るもの、自分の中にある"本当"を、
毎日静かに記録しながら、再び革細工だけの生活に戻る日まで勉強中だ。





いろいろあるものだな、とつい笑ってしまう。


数年がかりでようやく落ち着いたかと思うと、もう立つ時だとばかり立ち上がるし、
立ったと思えば次に腰を下ろす地点まで、ほら歩け、と歩き続けることになる。

渦中に立つ時間は、早瀬のど真ん中のように感じて身動きを恐れても、
ひと度対岸に渡ろうと決めて足を進めれば、押し流されないように結構頑張れるもんだ。

こうした流れを、転換の風だと感じるからか。








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時々、無性に革に触れたくなる時がある。

別に取り上げられているわけではないから、それは自由なんだけど、
何となく、中途半端に関わるのが難しく感じて、距離を保っている分、
革に触れるまで少し躊躇があったりもする。

事情付きで離れている大切な相手にたまに会うとき、
短い時間の中でまず何の話をしようかと悩むのと似ている。



これまでに作った革のものに触ると、心にすぐ凪が来る。
日頃荒れているのではないが、漣も静まるほど、という意味だ。

ちょっと作ろうと決めて、新しく何かを作ると
どれほど簡素なものでも、心も精神も体もそれを本当に喜んで迎える。
目は一心に見つめ、手指は動きたがり、頭は制作過程を幾つも用意する。
感情が高まって、私の中の世界がなめらかに動き出して広がり始める。


大した効果だ。 

世の中の誰も求めていないかもしれなくても、
私の人生が丸ごと求め続けている。私が創る者だからだ。



そしてその、少し何かを作った「ある日」を心の休息のように過ごして、
翌日からまた革に距離を置いた、別の形の生活が始まる。








0sandal1.jpg




こうして次の休息の時を心待ちにしながら、
新しくやって来た生活を大切に回していこう、と思う。


いまは学ぶ時期。





偶然

.22 2012 革の部屋 Leather comment(6) trackback(-)
br-braiding.jpg




すっかり忘れていたことに突然はち会わせると、妙な感じがする。


何年も前に買った本の表紙の話しだが、気になるイラストが描かれてあった。
じーっと見ても、そのイラストに描かれている絵の『状態』がつかめなかった。
それは編んだ革のイラストだった。


その本自体はとても有名な本で、どれくらいお世話になったか分からない。
本の内容は、編み方が沢山。
私は最初の頃、その本を見ながらせっせと何度も繰り返し編んでいた。
間違えたらほどいてやり直して、何個となく編んだものを作った。

おかげで、編み方の名前を忘れても、手が覚えてくれた。
ちょっと忘れたりしていても、紐を手にしてじっとしていると思い出す。
この本は、とても素晴らしい先生だった。



でも、一つだけ分からないことがあった。
どうして本の中に載っていない編み方が描かれているのか。
それが表紙のイラストにあった編み目だった。

あれ?と気がついて、何度も往復しながらページをめくったけれど、
どうしても表紙のイラストにある編み目はない。

未だに見落としているのか、それとも載っていないのか。

「う~ん」と考えて、やってみることにした。
それが随分前のことで、もうあれから5年も経つ。
で、5年前の挑戦は、結果から言うと出来ずじまいになった。
実際に編んでみても、ノートに描いてみても、何をしてもできなかったのだ。





度々その本を見ることはあった、その後。

表紙のイラストに目が留まるたびに、少々情けない気持ちが浮かんでいた。
スープの取り残しのアクのように、取りたいのに除けない。
仕方ないな、と思いつつも、目に映ると諦め悪く見つめてしまう。



それが今日、特に関係ないことによって、再び挑戦となった。

偶然、作ってみたかった腕飾りを写真で見かけた。
それはとても美しい腕飾り(私の評価)で、
編み目は平編みのようなのに、編みあがった姿は丸みがあるものだった。



立体感のある魅力的な腕飾りの写真をじーっと見ていて、
作れるかなぁ?とふと思い、2mmの厚みの革を切って作り始めた。

買えるものなら買うのだろうが、そこは無駄遣いできない生活なので自作。

5分くらいあれこれ紐を動かしながら、やっと合点がいく。
それで編み進められると分かり、そのまま編み続けたら・・・



出来たのは、あの苦い思い出の表紙イラストの編み目だった。


編んでいる最中に、なんかどこかで見たような気がする、と思っていた。
どこだったっけ、いつだったか。
もしかして以前に編んだことがあったのかな、とぼんやり考えていたのだけど、
どうにも思い出せなかった。 怖ろしく鈍い記憶力だ。あんなに梃子摺ったのに。


そして直に手の平に乗った、あの編み目の腕飾りを見て「ああ~・・・」と驚く。

実際には、イラストのものとも、写真のものともちょっと違うところがある。
写真は8本で編んでいて、イラストはそれ以上の本数で編んでいる感じ。
私が作ったのは、私の都合で7本の紐である。

ただ、7本の紐からでもどうやら同じような形にはなるようだ。
横に倒した時、少し上下の別は見えるが大して気にならない。



偶然。 

何年もして、忘れた頃にやってくるとは言うけれど。
本当に忘れた頃に、うっかり道端で出会ったような、そんな感覚。




会えて良かった。 出来るようになったんだ、と思うと、またそれも嬉しい。





4月

.09 2012 一人芝居の部屋 comment(0) trackback(-)
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4月を卯月と呼ぶけれど、当てられた漢字の「卯」の花よりも、
沢山の生命が生まれてくるような『生』の文字のほうが、個人的には印象強い。


田植苗月ともいうようだけど、田植えは5月頃のほうがそうかなと思う。
昔は4月のほうが気候的に合っていたのかなぁ。

私の子供の頃は、近所の田んぼは5月になると柔らかな緑色を敷き詰めていた。
緑色のピンと背すじののびた小さな稲の苗を、農家の人が腰を曲げて植えていた。
一家総出で田植えをする風景をあぜ道から眺める時、
何となく近づきがたい、粛々としたものを感じたものだった。


とにかく、何かが始まるとか、生まれるとか、4月はそうした印象だ。



このところ虫も増えた。
暖かいから、続々と虫に出くわす。

壁を見れば、小さなカメムシがせっせと歩いているし、
窓を開ければ羽虫の類が飛び込んでくる。
ドアの開閉時は必ずといっていいほど、戸の裏か表かに誰かしら虫がくっついている。
知らないうちに屋内の植木の土にも、布団に寝そべるように虫が寛いでいたりする。
花が咲けばハチが飛び交うし、風に流されるようにチョウが舞う。
アリも寒さが消えたとばかりに、忙しなく行列を組んで食料を集めている。
イエグモの子もどこからかちょこちょこ出てきては、家中を見物している気がする。
・・・クモは虫ではないが。でもまだ5cmくらいのかわいい姿で気に入っている。



私も触発されたのか、虫を最近作っている。

虫の姿が目に入り始めると、特に好きというわけでもないにしても目が行く。
昆虫は興味深い形をしている、とよく思うのだ。

ほんの少し形が変わると、まったく別の虫のように見える。
これは魚にも鳥にも他の生き物にも同じことが言えるけれど、
でも虫は特に、(皆とってもよく似ていそうなのに)違いが顕に出る。

図鑑を開いて、丸一日×数日間を、昆虫の写真を見て過ごす。

暇な人だと思われそうだ。 しかし、暇は自分で作るものだ。
暇でいたければ、有り余る暇、は何もしないことを選べばそうなる。
私はよく暇人と言われるが、それはちょっと違うのだ。暇なままではいないもの。
動ける時間を用意しなければ、思いついても作れないだろう。言い返しはしないけど。



話を戻す。

図鑑の説明と、世界に散らばる昆虫の面白い姿を見つめていると、
外に出て観察したくなるもので。

里山や広い野原、田んぼや畑が身近にない環境が、こうした時は一層悔やまれる。
せいぜい近所の空き地に出かけて端のほうの雑草の中にしゃがみこむくらいだ。
それは世界の華々しい姿をした虫たちを、脳裏から遠く引き離す行為でもある。

日本の、それも空き地の端にのび始めた雑草の群れには、
そこにいて違和感ない姿の虫でないと生きられないのだから当然である。

そして、そんな地味ともいえる空き地の生息者の姿を見つける中、
とても感動してしまう瞬間が、大きめの強そうな虫を見た時だ。
カマキリとか、大きいカメムシとか(ある意味強い)、ハンミョウとか。
見やすいサイズというだけで感動する、このちっぽけな自分にちょっと疑問はあるが、
そうやって大小の虫を観察して、驚いたり楽しませてもらい、春の一日は過ぎていく。



家に戻って、革を切って、小さな虫を作り始める。

うまく作れないな~と手間取る時、空き地にいた虫たちが何だかとてもすごく感じる。
昆虫は、きちっきちっ、とした体をしているから、一見作り易そうなのだが、
私の不器用さが足を引っ張るのか、とにかくそう簡単に近づけないことを知る。

一匹作ると、次の一匹は、また違う姿をした虫を作りたくなるのだ。
6本の足と、4枚の翅、ふしで分かれた体を持つ昆虫類は、本当に面白い生き物だと思う。



一匹ずつ時間をかけて、一生懸命似せながら、
空き地にいた虫たちを4月いっぱい作っていこうと考えている。
出来上がったら、箱庭ならぬ箱空き地を用意して、虫たちの居場所を作るつもり・・・




皆様、良い春を過ごして下さい。




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春になって

.06 2012 一滴の栄養の部屋 comment(0) trackback(-)
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冷たい空気が去り、暖かい風と光の日が毎日やってくるようになったこの頃。


この前、ポストに一枚ハガキが入っていた。

このハガキを受け取って、しばらく嬉しくてポストの前に立っていた。
何度か展示で一緒になった作家さんの、個展のお知らせだった。


いろんな意味で、この人に学ぶことが多い。

朗らかで親切で、とても感じの良い人柄。
人柄だけでも学べるような相手だが、センスも良い。
どことなく日本人離れした感性が、作品全てから感じられる。
表現方法がとても豊富で、見ているだけで仕合せになる。

本当に豊かな人だ。 


きっと、個展も素敵な空間を作り出すだろう。
そして訪れた人たちが優しい気持ちになれると思う。

この人の作るものは、そうした気持ちになれる要素がある。
土に落ちる、ふっくらした種のように。



お招き頂いたので、是非出かけてみようと思った。

期間中、穏やかに晴れた日が続きますように。








sweetlemon1a.jpg




私のほうは、特別何があるわけでもない。


先月末には、ネットのトラブルでGmailのアカウントを消すことになり、
おかげで少しばかりの繋がりを保っていられた人たちのアドレスが
操作をよく分かっていない私のミスで、一緒に消されてしまった。

やれやれ、どうしたもんか・・と思っていたところに、
次は仕事都合上、収入が激減した。
もとから大した稼ぎはないでこれまでやってきているが、
幾らなんでも大丈夫だろうか?と少々頭の痛い、春の出だしを迎えている。


しかし、こういう時になると、どういうわけか作りたくなるもので。

急を要するような事柄だと、制作云々、手に付かなくなるけれど、
心のどこかで「大丈夫」とささやいている声を聞ける時は、制作する。
傍から見たら、何となく危なっかしい気もするかもしれないが、
有難いことに私の場合、傍から見守るほど距離の近しい人はいないので、その心配はない。


作ったものがどうなるか、何を引き寄せるのか、
そんなことに期待をすることもない私の制作の日々だが、とりあえず作るしか出来ない。

それを望むのは、他でもない私自身だ。

これしか出来ないし、これだけが杖だ。



少々頭の痛い春の出だし、と書いたけれど。
外は輝かんばかりの生命力漲る季節であるに変わりない。

私の時間の一部に苦味が落ちたというだけ。春の来訪に似合わないちっぽけなことだ。


こうした時だからこそ。
楽しくなるような、よいものを作っていこう。






insects2.jpg







継ぎ接ぎ

.30 2012 革の部屋 Leather comment(0) trackback(-)
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今年は大き目の革もかなり端革箱に入っていた。

なんとか、その大きさを切らずに使いたいと思っていた。
それでその大き目の革を、さらに繋いでバッグを作ることにした。


この形は他人様のアイデアで、ファスナーを多用するバッグ。
作ってみるとポケットが多くて、こんなにポケット必要だろうかなどと思ってしまう。
でもきっと世間ではポケットは多いほうが良いのだ。
だからアイデアでも「ポケットたくさん」になるのだ。


とにかく文句を言わずに作ってみたら、これはこれでとても好きな雰囲気になった。

いろんな色がある。いろんな革がある。
どれも大きめで、全部一緒に合わせたら、こんなに素敵なバッグになった。
大きさは一人前だ。 あとは一人前の働きを期待する。




このバッグでどこに行こうか。

春ももう始まったし、桜が満開になる頃を見計らって、どこか深山へ行きたいなぁ。







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遠くを思う

.06 2012 革の部屋 Leather comment(0) trackback(-)
rokh2e.jpg





私はあまり光のあるものを使わなかったのだけど。

今年は少し、こういったものを触っていこうと思っている。
しかしあまりにきらきらとしていて、作り終わった後、まじまじと見てしまった。
見慣れない、とはこんな感覚なのか。



下のほうにぶら下がったプラスチックのおもちゃの宝石。
プラスチックというのも、私がほとんど使わなかったものの一つ。

でも使った。

昨年、いろんなことがあって、これまで自分が枠にしていたものを開けてみようと思った。
何でもあり、というわけじゃない。抵抗があることまでやろうとは思わない。
少し、ここから幅を広げたらどうなるのかと。

昨年のある日、自分で制限を決めている枠がとても窮屈に感じたのだ。




上手く言えない。

その気持ちがどういうものか、
言葉にしようとすると、なかなかたどり着かない気がする。

でもおもちゃ屋さんの壁に、これがぶら下がっていたら、
それもいいんじゃないかなぁ・・と思って、眺めている。







シンドバッドが出会ったルフ鳥は、宝石の谷に彼を連れて来た。

宝石の谷はヘビがうようよしていて、彼はそこから逃げ出すために必死に考える。
そこで、崖上から谷に投げ込まれた動物の死骸が、ワシに掴まれて上がっていくのを見て、
シンドバッドは自分の体を死骸にくくり付けて脱出を試みるのだ。



私は、人間は作らないから、このお話の巨鳥とヘビと宝ものを中心にした。
死骸はやめておいた。

クジラは、シンドバッドたちが島と間違って上陸したお化けクジラ。
ゾウは、ルフ鳥が大蛇と同様食事にしている動物。



月が出て星が輝く夜空を、大きな翼で羽ばたき飛び去る巨鳥に、
シンドバッドは何を思ったんだろう。













二月の空に

.24 2012 革の部屋 Leather comment(6) trackback(-)
sora2.jpg




時折雨や雪は降るものの、
光の暖かい晴れた日とか、風が吹かなきゃ寒くない日とか、
そうした日が増えているこの頃。

今日は気がついたら日中はずっと半袖でいられた。
屋内だからというのもあるだろうけれど、
それにしても普段は半袖ではないのだから、やはり今日は暖かかったのだ。
朝一番で知人にもらったメールでも、『春が近づいている』とあった。

2月以降、寒さが戻るようなことはよくあるにせよ、
少しずつ春と距離が縮まってきている気がする。


空は相変わらず高く澄んで、
絵の具を一かき、するりと混ぜたような雲を流して、薄く青く佇む。




私は空を眺めているのが好きで、暇があるとよく空を見て過ごしている。

空を見ていると、トビの声が響くのが普通だと思ってしまう。
ぼんやり見ている時間、大体何かが聞こえるといえば、トビの声だから。
ヒヨドリやスズメやカラスの声もしないこともないけど、
彼らは姿を見せることなく木陰で群れ、耳に入る声もおしゃべりに近い。
空とセットで姿も見えるのは、いつでもトビだ。
そして、トビの声は歌に聞こえる。


もし、海外のどこかにすむような日が来た時、
私はそこでトビの声を聞けなかったら、ちょっと日本を懐かしむかもしれない。



そんなことを青空を見上げながら思っていると、
異国の地では一体どんな鳥の声がその地に響き渡っているのだろう?と気になった。

気になっても知らないことだから、そこから先の続きはない。

う~ん、としばらく考えてみたけれど、
どこでも猛禽類の声が多いのかなぁ。
鳥が高い空から見渡しているのは猛禽類のイメージだ。
でももしかしたら、生い茂る森の近くや、
畑の続くような場所だと小鳥の声のほうが頻繁だろうか。



そんなことを考えている間に、太陽はゆっくり午後に向かって傾いていく。





・・・昨日一昨日と作っていたものがある。
大空繋がりで、天蓋を覆うほどに大きな鳥の話に魅せられて作っていた。

はるか昔の異国の話。
賢い娘が、千の夜をかけて王に聞かせた物語。
『幸多くいらせられます国王様、このように聞き及びましてございます』

そして登場人物自身が語り始める、入れ子式のアラビアンナイトは語られた。


とても有名なシンドバッドの冒険は、
私は絵本ではじめて知ってからずーっと好きだった。
そこに出てくる宝の山や、不思議な島や、怖ろしい怪物や荒れる海は
いつ読んでも胸が躍るくらい楽しい。

私が作った鳥は、天蓋を覆う・・・とまではいかない。
どちらかというとサイズは手乗り文鳥だろうが、
でもこの目に映っているその姿は、シンドバッドが必死にしがみついた巨鳥なのだ。



雲を蹴散らし、大空を巨大な翼を広げて飛び続けるルフ鳥。
トビの声とは似ても似つかないだろう。

鹿革で出来た羽を広げたこの姿をじっと見ていると、
ルフ鳥の一声は、異国の晴天に突き抜ける雷のようなのだろうと想像して、
この小さな革の鳥が叫ぶのを期待してしまう。







rokh.jpg










胃袋型

.16 2012 革の部屋 Leather comment(0) trackback(-)
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年末の話なのだが、ある作家さんがうちに来てくれた時のことだ。
私の作ったバッグ群を見て、彼女はそのうちから一つを取り上げ、
『胃袋みたい!』と言ったのだ。

実はその『胃袋みたい』なものは、私が『心臓型巾着』と名付けていたもので
シュリンクの牛革で作った、まるでちょっと脈打つような姿だった。
どっちにしろ内蔵だ。 
それはいいのだが、その時から『胃袋』という言葉が私の脳に刻まれた。



彼女が帰ってから、私は何日もその『胃袋』的な形をなぜか意識していた。

心臓型巾着はそっとしておくことにして、
胃袋型の何か・・作れるかなぁ?と思い続けた。



あれこれ回り道して調べ続けて、ようやく「こうしよう」と決定。
それが上の写真のものになった。
2ヶ月も思い続けたわりには、呆気ない出来ではあるが。

にしても、使い勝手はわからないが、中々魅力的な姿。
好みの問題だ。



胃袋がモデルなだけに、サイズはそんなに大きくはない。幅20cmくらい。

思えばこれも有難いことで。
使える革の大きさは限られている。胃袋なら実寸でも何とか端革で可能だった。

私が作ったのは胃袋の形のバッグ、というべきか、ポシェットというか・・だ。
コルク栓はオマケのようなもので機能はない。 ただ、栓があると雰囲気が違うのだ。
趣はさておき、これはファスナーで開閉し、小さいながらも一応中に物が入る。

・・・水分は勿論ダメだけど。 
大体の人が思い描く有名どころの水筒は、そのうち作ってみたい。



水筒であれ、ワイン入れであれ、そうした使い道になるのが一般的だった胃袋。

ミルクを入れて運んでいたら、しばらくしてチーズになっていたという話は有名。
牛や羊の胃袋を用いた袋に、生乳を入れて揺すれば分離する。

お酒を入れるのも随分昔からあったよう。
袋状の内臓は、陶器や木製のものに比べてずっと軽いし持ち運びやすく、
落としても壊れないから使い勝手が丁度良かったのだろう。


出来ることなら私も水筒を作りたいところだが。
しかし私が羊の胃袋を手に入れていた時期は、そんなことを思うことなく食用にしていた。

現在は胃袋をしょっちゅう買うようなことは減ったので、
こうして革で本体を真似て作るのみ。それもバッグのようにして。




楽しいものが出来て良かった。
「胃袋」の一言を出してくれた彼女に感謝。


いずれ機会があったら、是非胃袋製品を作ってみたいと思う。

しかし胃袋を洗って食べていたその頃、なぜこのことを思いつかなかったのか・・・
作ってみたら、きっと良い経験になっただろうなぁ。







bota-de-vino1c.jpg
(もう一つは牛の角先を栓にしました↑)





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